8年ほど前、「監督が何を考えているかわからない」と愚痴った五輪代表の選手2人を「わからなければ聞きにいけ!」とこのコラムで批判したことがある。自分から行動を起こそうとせず、常に相手が自分の側に降りてきてくれるのを待つ姿勢が許せなかったのだ。
そのうちの一人が、小野伸二だった。
監督批判は、無論どこの世界でも容認されることではない。しかし、かつてはいじけるしかなかった青年が、レギュラーを外される危険性を承知で噛(か)みついていったところに、わたしはちょっとした喜びさえ覚えてしまった。
セオリーはあってもマニュアルのないサッカーの世界において、100%自分と同じ考えの人間などいるはずがない。選手から批判されて嬉(うれ)しい監督などいるはずもないが、同時に、批判の中に込められたエッセンスをくみ取れない監督では、チームの成長などありえない。表に出る出ないは別にして、どの国のどのチームにも選手対監督の対立があり、優れたチームとは軋轢(あつれき)によって生じる熱を推進力に変えていくチームである。
だが、小野伸二の成長以上にわたしが嬉しかったのは、ファンの反応だった。
ほんの数年前であれば、ファンの意見は真っ二つに割れていたはずである。つまり、オジェックを正しいとする見方と、小野伸二が正しいとする見方である。そして、事件の当事者がスター選手であった場合、ファンの声は圧倒的に選手を支持するものが大きくなっていたことだろう。
ところが、今回の騒動を外から眺めていると、少々様子が違う。もちろん、オジェック派、小野派もいるのだろうが、それ以上に騒動によるチーム力の低下を懸念する「第三の声」が多いようなのである。これは、五輪代表の試合に観客が入らなくなってきたことと同様、まったくもって正統な反応だといっていい。
日本サッカー協会は観客動員にしゃかりきになっているようだが、五輪代表の試合に数万人も集まる国など皆無といっていい。五輪代表の試合会場に空席が目立つようになったのは、すなわち、日本のファンがそれだけ成熟してきたという証でもある。
レッズ・ファンの反応もまたしかり。
これまで、個人の人気に頼ってきた日本サッカーは、いま、ようやくチーム自体の魅力で勝負する時代になりつつある。これで、欧州のトップクラブのように個人の人気をも再び利用できるようになれば、日本サッカーの未来は盤石である。



