アルゼンチンの優勝で終わったU―20W杯で、日本はフェアプレー賞を受賞した。発表の瞬間、会場は意外なほど大きな拍手に包まれ、欧州や南米の サッカー先進国ではほとんどなんの意味もなさないこの賞が、北米ではまた違ったニュアンスで受け入れられることを教えてくれた。
た だ、その一方で、FIFAの技術委員会が選出した優秀選手27人の中に、日本選手が1人も含まれていなかったという現実もあった。選出対象となるのは決勝 トーナメントに進出した16カ国だったが、選ばれなかったのはコンゴ共和国、ガンビア、日本の3カ国だけである。チームとしては素晴らしい戦いをみせた日 本代表だったが、個々の能力では際立った部分がなかったと評価されたのだろう。
だが、これは喜ばしいことでもある。
以前にも書いたが、今回のU―20日本代表に、傑出した個人はいなかった。才能だけの比較であれば、準優勝に輝いた99年組の方がはるかに上であ る。それでも、ベスト16に終わった今回の日本代表は、従来の日本人サッカー選手が持ち合わせていなかったものを生まれながらにして獲得していた。
世界と自分の一体感である。
脱亜入欧精神の名残なのか、はたまた戦後教育の賜物(たまもの)なのか、従来の日本人はアジアに対する傲(ごう)慢なまでの優越感を、対欧州とな るときれいさっぱり捨て去ってしまうのが常だった。アジアの戦いは「絶対に負けられ」なくとも、世界との戦いであれば許される。アジアでは責任を持った戦 いをしながら、世界では無欲で戦う。それがこれまでの日本人だった。
だが、若い日本代表選手たちは、アジアで戦うのと同じような気持ちで世界と戦った。それゆえ、傑出した個人がいなかったと見なされたにも関(か か)わらず、大会準優勝に輝いたチェコを崖っぷちまで追い詰めることができた。世界大会で敗れてあれほど号泣する日本選手を、そして日本に勝ってあれほど 狂喜する欧米のチームを、わたしは見たことがなかった。
「絶対に勝つ」という気持ちの重要性は、いま、多くのA代表の選手も痛感していることだろう。ベトナムで戦ったオーストラリアは、去年、ドイツで 戦ったのとほぼ同じチームだった。違ったのは、日本には復讐(しゅう)心があり、オーストラリアにはなかったということである。勝負の理由を精神論の1点 で片づけるのは危険なことだが、それでも、欧州のサッカー関係者がよく用いる「勝者のメンタリティ」という言葉の意味を、わたしは改めてかみしめている。


