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【スポーツニッポン】日本サッカーには挑戦が足りない(2009年04月24日)

 サッカーは国民性の表れるスポーツだとは、よく言われることである。ブラジルならば享楽的、ドイツであれば質実剛健、フランスは艶(あで)やかなシャンパン・フットボール――。だからこそ、日本も自分たちのスタイルを確立しなければならないというのが、この国でサッカーにかかわる人間の悲願だった時代がある。

 確かに、Jリーグ発足当時を振り返ってみると、10チームすべてがそれぞれに違った方向を向いていたような気がする。ヴェルディは徹底したブラジル志向だった。マリノスはアルゼンチン、サンフレッチェはオフト・イズムの流れを汲(く)む欧州スタイルだった。決してレベルが高いとは言えなかったにもかかわらず、娯楽として爆発的な人気を勝ち得たのはそれゆえでもあったのではないかと思う。


 考えてみれば、昭和の時代にサッカーをやっていた日本人は、この国におけるマイノリティーだった。だからこそ、各チームはそれぞれに自らの進む道を探し、結果として"日本らしさ"の公約数が見えにくくもなっていた。

  だが、いまやサッカーをプレーする少年は、社会におけるマジョリティーとなった。ここ数年、わたしはJFLを追いかける週末を送っているが、いいか悪いか は別にして、3部にあたるリーグにも"日本らしさ"が浸透してきたと感じている。日本代表やJリーグのチームと同じベース、つまりは国民性が透けて見える のだ。

 国民性とは、むろん善悪や優劣で語れる問題ではない。ただ、サッカーの国際競争力を考えた場合、避けて通れない日本人としての問題がある。

 挑戦と責任、である。

  自分がボールを持っている。相手が前から迫ってくる。こういう状況になった時、強引に挑戦するタイプの選手が、いまの日本では極端に少なくなってしまっ た。抜けに行けば奪われる危険性がある。そうなった際の責任を重大視し、安全策を選んでしまうのだ。サッカーがマイナーだった時代は、勇んで躍りかかって いくようなタイプは決して珍しくなかったのだが......。

 現場の指導者の多くは「アタックしろ」と口を酸っぱくして説いている。しかし、前例に従うのが良しとされ、異質なものが排除されがちな日常で育った選手たちにとっては、これが至難の業となる。

 ポピュラーになったことで、日本のサッカーには独自のスタイル、空気が生まれつつある。一方で、だからこそ対峙(じ)しなければならない問題も見えてきた。サッカーにゴールはない。あらためて痛感させられるきょうこの頃である。



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