96年、イングランドで開催された欧州選手権を観戦に行った際、ヒマを見てウインブルドンに足を運んだことがある。わたしにとって、人生初めてのインタビュー取材対象者でもあった伊達公子が快進撃を続けていたこともあって、いてもたってもいられなかったのだ。
そして、そのたびにサッカーとテニスの置かれる社会的な立場の違いを痛感させられた。
当時、サッカー場にはイヤになるほどたくさんのスキンヘッダーがいた。頭をツルツルに剃(そ)りあげ、金属探知機がヒステリックに反応しそうなほど大量のピアスをつけ、浴びるようにビールを飲んでいる。スタジアムへ向かうバスや電車の中は、わたしにとって肝試しの場に等しかった。
ウインブルドンは、まるで違っていた。スキンヘッダー?ピアス?そんな人種はどこにもいなかった。そもそも、ジーンズを履いている人間を探すのにも一苦労するほどだった。サッカーは労働者階級のスポーツ、テニスやラグビー、クリケットは上流階級のスポーツ、という知識はあったものの、現実に見る両者の違い、差は、言葉を失わせるほどに大きかった。
だが、それも過去の話となりつつあるようだ。
13年ぶりのCL決勝開催となったローマは、ラバネッリがユニホームを頭からかぶって疾走した96年とは、まるで違った様相を呈していた。あくまでも出場する両チームの関係者、サポーターのための決勝だったのが13年前だとしたら、今回は全世界から集まる愛好者のための大会にもなっていた。
街中のあちこちにはポスターや横断幕が張られ、会場のそばには、F1のパドッククラブを思わせる豪華な『チャンピオンズ・ビレッジ』まで設営された。一般には販売されない600ユーロのチケットを手にした人たちは、無料の酒、料理、音楽をキックオフ直前まで楽しむことができる、という趣向である。
スキンヘッダーなど、どこにもいなかった。
フットボール・スタジアムが、男たちの鉄火場だった時代は終わったらしい。欧州全体を包み込んでいた好景気の波は、アウトローたちをも高見へ押し上げたのか。ならば、突如として襲いかかってきた不況の嵐は、アミューズメント・パークと化したサッカー場を過去へと逆戻りさせるのか。
一瞬先は、誰にも見えない。日本や米国と違い、変化を嫌う欧州ですら、そういう時代に入っている。



