6月17日付けの毎日新聞朝刊に東京オリンピック開催についてのアンケートが掲載されておりました。
賛成62パーセント、反対29パーセント。ま、そんなもんでしょう。招致委員会は賛成のパーセンテージを70パーセント台にまで持っていこうと必死のようですが、正直、いまの段階でそこまでの関心や熱があるとも思えない。オリンピックを開催したことのないマドリードやリオ・デ・ジャネイロに比べて数字が低いのも当然と言えば当然のこと。
反対の理由で一番多かったもの。「福祉や医療など、ほかの分野にお金を使うべきだ」。これもわかる。誰だって、自分の興味のない分野に大金が使われるのは面白くない。そうだなあ、俺だって「オペラのために3200億円使う」とか言われたら「マジかよ」って思うだろうし(玉木正之さんは大喜びだろうけど)。
ガッカリしたのは、賛成の理由です。一番多かったのが「東京の都市整備や経済効果が見込める」。
カネかよ!
反対するヒトがその理由としてお金の問題をあげるのはわかる。でもね、賛成するヒトまでが特需を期待したオリンピックの開催を望んでいるというのには恐れ入りました。いや、どこの国だって、同じ意見のヒトはいるでしょう。でも、それがマジョリティになってるっていうのは、日本だけだろうな。前回の開催は国威発揚のためで、今度はカネのための開催。これじゃ、10月2日の投票で勝ったところで、素敵なオリンピックには到底なりそうもない。
だって、自分たちがカネを儲けるためのオリンピックなんだから。それでいながら、アマチュア選手がギャラを受け取ることには眉をひそめるヒトが多いっていうんだから。
つくづく、この国におけるスポーツの軽さを痛感させられます。
「体育にまつわるエトセトラ」、実は一番言いたかったのもそこなのです。この国ではスポーツが軽い。では、なぜ軽いのか。
スポーツ=体育だから、ではないか。
これまで書きつらねてきた問題点は、正直、「で、何か?」と言われてしまえばそれまでのこと。別にチームを軍と訳したってかまわんでしょ、楽しめなくても勝てばいいでしょ......と言われてしまうと、返す言葉はないわけです。
でも、スポーツの軽さは、形になって現れます。たとえば、スポーツを楽しむ環境の問題。スポーツを楽しむために、こんなにもお金が必要な先進国はちょっとありません。ゴルフのパブリックコースの割合は恐ろしく低く、Jリーグができて10年以上経つというのに、芝生の上でサッカーをしたことのあるおじさんの割合は昔のまま。フットサルをやるにも、テニスをやるにも、水泳をやるにも、とにかくお金がかかります。
なぜか。国が本腰を入れてないから。スポーツの振興が、利潤をあげなければならない宿命を持つ民間にまる投げされてしまっているから。スポーツを利用して選挙に勝とうとする政治家はいても、スポーツを理念として掲げる政治家はいないし、そもそも、ほとんどのスポーツを管轄する官庁は文科省。スポーツ省、という官庁は存在しません。
でも、当然と言えば当然なんですよ。だって、スポーツ=体育であるならば、スポーツは日本人にとって6番目以降のプライオリティしか持ってないんだから。
国語、数学、英語、理科、社会。主要5教科。学校教育において、「主」に「要」となる5つの教科。スポーツはその次。大切なのは5教科であって、スポーツはおまけみたいなもの。
カネコタツヒト自身、すっかり昔話になってしまった学生時代を思い出してみると、体育のテストとか、ナメてたもんなあ。大事なのはあくまでも主要5教科だって。
ほぼすべての人間がそういう原体験を持っている以上、この国におけるスポーツが軽くなってしまうのも当然。政治家が、官僚が、そして多くの国民が、スポーツを経済ほどには大切にしないのも当然。
これほどの経済大国でありながら、世界に誇れるスタジアムが皆無なのも当然。スポーツが大好きで、チャンピオンズ・リーグの決勝にまですっ飛んでいってしまう総理大臣がいて、スタジアムの建設が夢だという建築家がたくさんいて、税制上の優遇処置が数多く設けられている国と、スポーツが軽くて、オリンピックの開会式で自国の選手が行進しているのに立ち上がろうともしなかった総理大臣がいて、スポーツにおけるスタジアムの重要性なんか考えたこともない建築家ばかりで、税制上の優遇処置なんかなにもない国。
なんでだろ、なんでだろと考え続けて、やっとたどりついたのが「スポーツ=体育だからなのではないか」ということだったわけです。
このテーマ、まだ続きます。




スポーツ=体育
ちょっと異議ありです。体育の授業を受けなくなって何十年も経ち、忘れかけた頃に子どもが体育の歴史に組み込まれる年齢になりました。
体育はもはや、レクレーションです。運動競技のお試し会のような感じですよ。
子どもたちは整然と並べないし、先生も指導できないし。軍隊的イメージの体育とは程遠いです。私の中では3年前から諸悪の根源はブカツと決定しています。
名目では自主的な選択ということでブカツを選びますが、入ったら最後、「おめー、好きではじめたんだろう! 最後まで負けずにやり切れ」的な脅迫。全体のための個人思想。一致団結して敵と戦うモチベーションづくり。理論より世襲的な指導。健全なコミュニケーションとは思えない上下関係。
ブカツは基本、タダでしょ? 全国制覇を目指して全国から100人規模の部員を集めるようなスポーツ校は別として。 指導は中学や高校の先生の給与に含まれているわけだし、親は体よく子どもが不良にならないようにタダで見張ってもらってるようなものだし。
だから、体育でお試しした運動競技を一生懸命やろうとしたら、ブカツしかなかった時代(田舎は今でもそうですが)で強く形成される価値とは、ブカツに金なんかかけられるかよ=運動競技に金なんてかけられるかよマインドの育成じゃないですか? だって、「好きな人が」「タダで」やるものなんだもん、って。
現代日本の価値の基準からすると、タダっていうのは相当ランクが低いです。なんでもお金を出せばちょっといいものが手に入るんで。安いとタダの間にはとてつもなく大きな価値の壁がはだかっています。
タダで供給されていたということは、そこに金になる価値を投入すれば、かなりの採算が見込めるということで、このニッチにぜひ参入したいと工夫してるのが、最近の子どもたちをとりまくスポーツ環境だと思います。スポーツの経験を金の流通に巻き込もうとしている傾向。高価なスポーツ用品だったり、外国クラブからコーチを招いた特別レッスンプログラムだったり。個人消費に依存したスポーツの価値作りみたいな方法かな。でも正直、バブルという気がいたします。これでは多くの人がスポーツに燃え尽き、離れていくきっかけを作っているのではないかと懸念します。
だったら逆発想で、「タダ」じゃなくして「安く」したらどうでしょう? パンを買ったり、野菜を買ったりするのと同じように、生活に必要なものとしてかけられる金額で十分にスポーツを楽しむ環境を作ったとしたら、実はそっちのほうが持続性があって長期的な経済効果もいいんじゃないかと思います。
特別なレクレーションに分類するんじゃなくて、衣食住にスポーツを分類してやるってことで。そして土曜日は特別においしいパンを買いに行くように、土曜の午後にクラブチームのダービーマッチをビールを飲みながら見る。そうなったら、いいですな。
つくばは割りとそんな感じになってきてますよ、金子さん。
金子さん
あなたのような方が
これからの日本のスポーツをリードしなくては
ならないのです!!!
投げっぱなしみたいなコラムではなく
建設的な意見をバシバシ言っちゃって下さい!!
期待しています
追記です。
琉球ブログ見ました。
ホームであまりに勝てない理由。グランド状態もありますが、もしかしたら沖縄の暑さに選手がやられているのではないでしょうか?アウエイの本州は涼しくてやりやすかったり。どうでしょうか?
オリンピックを招致するときに経済的な効果を一番に挙げてしまう日本にはやはりがっかりしてしまいます。
純粋にスポーツを観て楽しみたいという発想が薄いのはがっかりです。
自分も感じますが、日本でスポーツをやろうとしても場所の確保が難しかったり、お金がかかります。
あと、日本でスポーツをやろうとすると、どうしても勝利至上主義というかちょっと部活動、軍隊チックになりませんか?
確かにやる以上勝利を目指すのは当然です。でも、それだとやってて楽しくはないのです。時として苦痛になります。せっかくのスポーツで苦痛になっては仕方ありません。これは日本のスポーツ=体育の影響が大きいと思います。日本におけるスポーツの価値が高まり、もう少し好きという感覚でスポーツができるような環境つくりが進んでいけばよいなと思いました。
話変わりまして、琉球おめでとうございます。格上の佐川印刷に勝ったのは大きいですね。もう少し勝ち点を積み重ねると上位が見えてきますよね。
先日、自宅から一番近い横河武蔵野の後援会に入会しました。JFLの試合を観て勉強したいです。もちろんすきなのは琉球ですが。前の武蔵野対MIOびわこ草津は1-3で武蔵野が負けました。MIOのカウンターの術中にはまりました。MIOは韓国チックなちょっと激しいチームでした。チームとしての完成度も高く守備が堅かったです。武蔵野はパス回しがきれいですばらしい攻めをしましたが、最近は決定力不足です。琉球はMIOを倒しちゃってください。
先日4級審判を取得しました。講義、テスト、実技と難なくこなせました。一日の拘束はきつかったですが。
まずは小学生レベルの線審からチャレンジしていきたいです。この活動も日本のスポーツ発展のためになるのかなと思って。
こんばんは。
体育=軽いのかどうかわかりませんが、この国のスポーツは、本当に軽いと思います。
私が一番それを感じるのがオリンピックの放送です。毎日見慣れているタレントさんが、教えてもらった事をぎりぎり伝えている感じです。失礼な言い方ですが、あまりメジャーではない競技の場合、「これで勝ちなんですね」という感じ。選手との会話も、競技の本質とは外れたものばかり。そんなんじゃ、その競技の本当の凄さは伝わりません。
野球中継に今夜から始まるドラマの番宣、バレーボールとジャニーズ、これは定番のセットです。
スポーツ番組とバラエティー番組がボーダレスになり、スポーツの中継が本質のみに目を向ける形から、スポーツを題材にして、いかに楽しませるかに変わってきています。
間違いなく、スポーツ=文化となっている国ではありえない話ですよね。
そんな私もすべてを否定しません。世界陸上の織田裕二さん、彼からは陸上競技に対する愛情がどんどん伝わってきます。
現在の様な形でスポーツに携わるタレントさん達に言いたいのは、愛情をもてないものに、携わらないでほしいと言う事、がんばってやりますと思うようなことはやらないでくださいと言う事です。好きなこと、愛情があることは誰に言われなくても必死になって調べます、勉強しますから。
正直、ここまでの展開で、いまいちスポーツと体育の話がピンと来ていなかったのですが、今回のコラムを呼んで、ああ、そういう方向か、納得という感じです。スポーツをもっと違う価値観でとらえてみないか、という壮大なテーマ、凄くありだと思います。次号以降の展開も楽しみにしています。金子さんのコラムに対する感想終わり。
コメントを読ませていただいて、結構びっくりしています。正直、呑気な方が多いなぁ、と。凄く恵まれている人が多いんですかね?嫌みっぽく言えば、羨ましいです。バブルの時の日本であれば「エコノミックアニマル」「文化的に遅れている」的な指摘の価値はあると思うけど、こんな状況でずいぶん、優雅な考え方だなぁ、と思いますけどね。
日本が経済的に大国だ、と言ってもアメリカや中国、フランスなどとベースが違う事なんて明らかですよね。食料自給力も低く、化石的な資源も少なく、人口と国土のサイズのバランスが悪い環境で、ここまでの生活を維持できているのは奇跡。そして、止まれないんですよ。止まった瞬間に終わる、そういった構造で出来ている。みんな必死で技術を高め、工夫をし、ハイテンションで食いつないでいる。それが日本でしょ?
休日にフットサルしてみんなでワイワイやって。そりゃ楽しいでしょう。好きなスポーツに没頭して「文化的だねぇ」とか。悪い訳、ないでしょ。そんなん、誰だってやりてぇよ。でも、特に昨年の経済危機からというもの、僕の周囲の労働者は皆、待遇が悪くなっている。良くなっている人なんて、聞いた事はないですね。朝から晩まで、休日すら途切れなく働いている人も多い訳ですが、それはシャンパン飲んで、ねーちゃんとやりまくりたい、というよりは家族を守るため、少しでも安定をさせたいためで、もの凄いプレッシャーですぜ。仕事自体だってやりたくてやっているわけではない、やらざるを得ないわけです。勿論、一部の人間が儲かりすぎている、とか、政治家は、とかすべて上手く言っているわけではないから、すべてを肯定する気もないですがね。
留学されている方もいるようですが、英語圏、スペイン語圏など、今は中国語圏もでしょうか、文化的支配の強大さって感じた事、ありません?スペインなどは現時点において、世界を引っ張る国という認識はないでしょうし、そういったスペイン企業を挙げろ、と言われてもピンとこない人が多い、と思う。
しかしながら、彼らの生活は結構、余裕ですよ。医療や教育にほとんど金がかからない。それは、留学している人もです。労働時間も短い、そもそも労働に対して日本人ほど前のめりではない。それはなぜか、と言ったらスペイン人の方が文化的な生活を愛しているから、ですか?いやぁ、単に暮らしやすいだけですよ。頑張らなくても生きていける余地が、日本に比べて圧倒的に多いから、なだけでしょ?で、バックボーンとしてのアメリカ大陸における言語的な支配はかなりでかい、とか言うとピンと来ないのかなぁ。イタリアがバチカンを持っている意味、とかね。
スポーツを文化的に。いいじゃないですか。みんなでもっとスポーツにお金を払いましょうよ。家で著作権を無視したyoutubeなんて見てないで、Jリーグのスタジアムに正規料金で通いましょう。ウイイレは中古屋に速攻売って、そのお金でスパイク買いましょうよ。サッカーじゃなくても何でもいいです。親兄弟、恋人、友人を誘って後楽園ホールにノアを見に行きましょうよ。そしたら三沢さんだって、ちょっと調子が悪かったら試合をキャンセルできたかもしれない。あんなに厳しいプロレスをやらずに済んだかもしれない。文化って、そういうことでは?競技場があるからサッカーをやるのではなくて、情熱も人数も納まり切らんから競技場が出来るんだと思います。
ま、くたびれたおっさんはこういうこと言いがちです。ぜひ、軽やかに論破されたいもんです。
「軽さ」というのはスポーツだけに留まらないと思います。
僕はバルセロナに留学したことがあり、そこで多くのことを感じ取りました。
まず感じるのは、済んでいる東京との比較です。最も強く感じた東京とバルセロナの違いと言うのは、効率云々ではなく、本当に素晴らしいもの(芸術等)には暇も金も惜しまないかどうかという点です。
東京は隙間があれば何かモノが建っています。
空いているスペースの有効活用、それと高騰した土地を利用した金儲け。
まぁそれはそれでいいと感じているのですが、バルセロナだけでなく、スペイン(ヨーロッパ?)というのは、必ず街のどこかに大きな広場と、場所を持て余すような噴水が存在しています。
バルセロナやマドリードといった大都会においてもです。
特にサグラダ・ファミリアなんかはその典型だと思いました。
使うことよりも作ることに意義がある、そんな建物が日本に存在してるかな、と考えたとき、残念ながら日本にそのような建物は存在しないですね。
効率を求めてどうこうではなく、偉大なる作品には金も手間も惜しまない。この、精神的な余裕とでも言うか、これが東京とバルセロナの大きな違いであると感じました。
「スポーツは文化」という言葉が定着しつつあるこの頃ですが、「精神的余裕」を根底に「スポーツ」というものを捉えてみると、日本人は本当の「スポーツ」という意味を理解していないのかな、と感じました。
はじめまして
いつも楽しみに読ませていただいています。
日本の都心や新しくできた郊外の住宅地にはまったく無駄なスペースがありません。
東京都心。車が通る道路と、商業施設、そしてオフィスビル。通過交通とお金を稼ぐ為の原理で街がつくられています。
郊外の住宅地は私有地の集まりです。道路と商品化された住宅地で出来上がっています。
人が集まる無駄な場所が無いんです。
無駄な場所ほど贅沢なものは無いと思います。皆がわけもなく、目的も無くすごせる場所ほど贅沢なものは無いと思います。
スポーツも無駄なものだと思います。無駄なものほど豊なものはないと思います。
仕事では頭を下げることができても、好きなサッカーのことでは引き下がれないオジサンが居たとすると、仕事よりサッカーのほうが、その人にとって本質に関わることなのかもしれないですよね。
意味も、目的もない無駄なものに関わりたいと思うその衝動ってすごいことですよね。
問題発言?をします。
カネコさんも、読者の多くも
スポーツ(サッカー、野球、その他?)が大好きで、
体育に良いイメージがなくて、
ですよね。
でもね、今の日本のスポーツ、体育の環境がひどいと思っている人、多いのでしょうか?
オリンピックのアンケートの賛成理由が「金」ですか。
それを考えることを否定することはできないですよね。
多いというのは事実なんだから。
その現状に忸怩たる思いを持っている人は、
このサイトに訪れる人は多いのでしょうが、
世間ではまだまだ少数派でしょう。
その時、多くの人が言うのです。
「力のある人、有名な人、等々がそのことを声高に言ってもらわないとかわりません。」と。
本当はそう思った人たち1人1人が動かないと思うのだけれど。
問題だ!と思ってるのなら、
人任せにせず、小さな一つでも、行動を起こして欲しいものです。
二十日付の朝日新聞に「スポーツ庁設置構想」と2面で大きく取り上げられてます。ただ金子さんが触れているように、現職の政治家達にとっては、総選挙前のこの時期に大きな集票とならないこのお題目は、議論が進みにくいとのことで、今国会での成立は困難だとか。「嗚呼、やっぱり」と言った印象です。
ただ、今の政治家達(特に族議員の都合に左右される自民党)でこの構想を議論して欲しくはないですね。理念崩壊でスポーツ庁の新設だけが最終目的になりかねませんから。
金子さん、どうもです。
スポーツ議員連盟が、1961年制定のスポーツ振興法に代わる「スポーツ基本法案」を国会に提出することを決めたとの事です。「スポーツに関する施策を国家戦略として位置付け、国の政策の重要課題として推進する」を盛り込む方針との事ですが、これはJOC意見を強く反映させたものらしいですな。という事は、オリンピック効果も良い効果を与えている面はあると思われます。
国の文化予算が約1000億円に対して、スポーツ関連予算はその5分の1程度という現状問題。そこにもメスを入れろ!と言うつもりらしいので、これにも期待大です。税金にしても、スポーツ関係は蔑ろにされてきましたからね。
この国では、スポーツをする者もそうですが、スポーツを経営する者も非常に息苦しくなってしまう環境にあったと。そこをクリアーして、「日本にスポーツを根付かせましょう」という動きが出てきたのは、私はきっかけがオリンピックであろうが無かろうが良いことだと思うわけです。ですので、ジャーナリストとして眉をひそめるだけでは無く、気運を高める記事をガンガン書いて、スポーツ議員連盟の尻を叩きまくればいいのではないですか?
スポーツの軽さに関しては、私も感じてました。それが「体育が原因の元」とは考えた事が無かったのですが、私としては「メディア」によるものを一番感じてまして。
例えばバラエティーとかにスポーツ選手が出て、司会者から「アホか!」と「お前な~」とか言われ、それでもヘラヘラしているスポーツ選手を見ると、いつも「軽いな~」と思ってしまうわけです。「なんでタレントに、アホ呼ばわりされなあかんねん!」と噛ますスポーツ選手がいてもいいのに、それが出来ない。それは原因としては、セカンドキャリアの問題に繋がると思うわけです。
スポーツ選手の引退後の生活は、有名選手ならば指導者の道が待っています。それ以外は、もうキャスターやらタレントやらのTV業界への道。あとは別の仕事に就職し直す道などなどでしょう。そう考えると、TV業界で生き残ろうと考えると、どうしても有名タレントに頭が上がらない。また、普段メディアに取り上げられないスポーツ関係の選手からすると「TVを敵に回したくない」として、これも頭が上がらない理由になっているのかな~?なんて思うわけです。こういうのは、やはり健全な関係とは思えないわけですね。
「スポーツとメディアの関係が、まだこの国は健全では無い」と。そこが、文化として芸術や芸能に後れを取っているのでは?と思ったりするわけです。
スポーツメディアへの問題を感じる例を一つ挙げます。
阪神タイガースに赤星という選手がいます。阪神ファンなら誰もが知っている選手ですが、以外や全国的には名が知れ渡っていません。盗塁数と同じ数の車椅子を福祉施設に寄贈するなど、チャリティー活動に尽力している選手です。その事も、あまり知れ渡っていませんし、勿論評価もされていません。
赤星選手の送った車椅子に乗って、ある少年が阪神のキャンプ地見学をしました。その少年は、生まれながらにして骨の病気で、幼少ながら数回の骨折を繰り返しているわけです。赤星選手は「こんな小さいのに」と絶句しながらも、その少年が自分の送った車椅子でキャンプに見学しに来てくれたことを非常に喜んでいた事があったわけです。少年も、プロスポーツ選手と接する事で「強くなろう」とより意識したかもしれません。
この事を取り上げるメディアは、関西圏の一部スポーツ新聞のみです。後は、全くの皆無です。そこに「スポーツメディアというのは、スポーツの‘何’を見て‘何’を報じたいのか?」と疑問が湧くわけです。
素晴らしい社会貢献をしている人を報道するのは、ほとんどが文化人です。ミスチルがエイズ撲滅運動のライブを開いているのはほとんどの人が知ってます。湘南乃風の若旦那が、ムコタ症候群の患者支援の為のライブを行っている事も知れ渡ってます。
知られていないのは、スポーツ選手なわけです。赤星選手は「評価してもらいたい」と思っていないでしょうが。
長文失礼しました。
そういえば、スポーツ平和党ってのもかつてありましたね…。この国は、もはや経済大国では無い気もします。
はじめてコメントさしてもらいます。
僕は大学生という人生の夏休みを利用して今はロンドンに滞在しています。
ここロンドンには至るところに芝生の、きれいな、そしてでっかい公園があります。町の中心部から郊外まで公園を探すのには苦労しません。
そして毎週末、公園はfootball,cricket,rugbbyをしている人たちで溢れかえっています。(僕もそのうちの一人です)
また、日本で言えば憩いの広場のような遊具が設置されているレベルの公園には小さめのゴールが設置されています。もちろん、全て無料です。
日本ではどうでしょう?
サッカーや野球を禁止している公園や十分なスペースのない公園、または有料のコート。少なくとも僕の家の周りにはサッカーができる場所はありません。
僕にとって日本におけるスポーツは重いです。
footballの母国と比べるなよとか貧しい国はストリートでやってるだろって言われたらそれまでですがね。
僕は正確には今東京に住んでいませんが、あまりオリンピック招致にあまり乗り気ではありません。その理由はみんなが口にする理由が景気対策でしかないから。オリンピックを開催したいという理由って、世界最高峰のレベルのスポーツを見たいっていうこと以外に有り得るんですか?
政治家の人が経済効果を目論むのは結構。でも市民レベルまでもそういうことを口にするってどうなの?という気がします。オリンピック開催したいといいつつも、日本ではマイナースポーツの火がどんどん消えていっていますよね?企業のサポートがないと日本人はスポーツができないのでしょうか?政治家もオリンピックでより日本にスポーツを広めたいというのなら、学生の1校1チーム制度やトーナメント制度の改善に早く手を着けて欲しい。そういうことに目が行かないのは、政治家の人がスポーツに疎いからでしかない。彼らが本当にオリンピックやスポーツの本質をわかっているわけがない。
セルジオさんがいってましたが、政治家が代表の試合を見に行くのは大統領制の国らしいですよ。国民投票が首長を決めるとならば、代表の試合は良いアピールですよね。だから小泉さんが来たのは02年のロシア戦だけ。政治家の人もこれからは地元のJリーグのチームの試合を観戦して、自分を売り込む時代がくるのでしょうか?それが良い事なのか悪いことなのかわかりませんが…。
個人的には、
スポーツ<体育
のような気すらしますね。
2002年のワールドカップの時一瞬だけこの国変わるかな?
って思ったけどあれから大きくは変わってないっすね、
スポーツ文化って。
あんときの首相がロシア戦後にロッカーまで来て、
「感動した!!」
って言ってた映像見て武者震いしたのが懐かしいです。
初めてコメントさせていただきます。
僕も今大学でスポーツについての勉強をさせていただいているのですが、日本人が体育=スポーツとみなすように、日本人にとってのスポーツはまだまだ何か別の目的を達成するための手段の一つでしかないと思います。
東京オリンピックの賛成の理由が経済効果であるように、学校ではスポーツは教育目的で、すなわち体育として行われていますし、高校、大学になると学校の知名度を上げることを目的として部活動を利用することもあります。社会人スポーツは多くが広告塔です。ミキハウスのように社長が純粋なスポーツ振興を目的としてスポーツ選手を抱え、積極的に支援している例はごくわずかです。その証拠に不景気の煽りを真っ先に受けたのが企業スポーツですから。
これらのことは日本人のスポーツに対する文化的価値観を如実にあらわしていると思います。日本の場合はスポーツ以外の大衆娯楽が発達しすぎて、スポーツがやや埋もれてしまっているという事情もあると思います。しかしこの日本人のスポーツに対する文化的価値意識が変わらない限り、日本のスポーツの発展はいくら政府が施策を施したところで変わらないと思います。
長文すみませんでした。
スポーツという言葉を軽く受け止めてしまう日本人。
これは国民性なんでしょうか。
何事にも真っ直ぐ真面目に取り組むのが日本国民の性格。
小学校時代から、スポーツを体育として組み込んでしまった弊害がきっと現れてしまっているのではないかと思います。
体育には「楽しむ」という概念はありません。
所詮は授業です。
あ、でも。
それでも私は授業でやったサッカー、楽しんでた記憶がありますが。他の人はどうだったのでしょうか。
例えば、金子さんが仰った、「チャンピオンズ・リーグの決勝にまですっ飛んでいってしまう総理大臣がいて・・・」。
日本の首相がそんなことしたら、そりゃ~一大事です。
「遊んでんのか!」と集中砲火浴びてクビ切られますよね。
ただ、そんなことをする首相がもしこの国にいたら、確実に日本のスポーツは変わるでしょう。
少なくとも私は応援したくなります。
スポーツと体育を分離することがこの国に出来るのでしょうか。
スポーツ=体育というマインドが蔓延っているため、スポーツは軽く扱われ、スポーツを老若男女が手軽に楽しめる環境が整備されない。
なるほど、なかなか面白い切り口ですね。さすが金子さん。
ただ…
こうも考えられませんか?
私たち日本人というのは、世界と比べても勤勉でよく働き経済的豊かさを第一義的に考えてるところがあります。
一流大学を出て一流企業に入り、社会的に高い地位を獲得し高級取りになる。これが昔から広く一般的に考えられている成功の典型的な形です。(これは、今の大学生もそう変わりません)
そうこれが日本人が考える「成功した人生」なのです。
そのイメージの中には、休暇に数週間の休みを取り家族とゆっくり過ごす。もしくは休日は近所のスポーツ施設で友人と汗を流しゆっくり過ごすといったものはありません。
とにもかくにもお金を稼ぎ、家族を養い、安定的な生活を送ることを目的にする。そのために毎朝満員電車にも乗るし、上司の叱責にも耐える。これが日本人の典型的なサラリーマンです。
その様な「人生」というものに対する価値観が、そもそも日本人は欧米人とは大きく異なる気が私はします。
「より良い人生とは何か?」という問いに対する答の違いが日本人と欧米人のスポーツに対する考え方の違いに影響していることもあるのではないでしょうか。
お金も大事だけど、それ以上に家族とか友人といる時間ってもっと大切だよね、という声が社会の中でマジョリティーになった時、必然的に人生を楽しむ場としてのスポーツ環境も徐々に変わってくる気がします。(今思いだしましたが、プレミアの選手とかは身内の不幸が起きた直後の試合は当たり前のように休みますよね。あれを咎める人は恐らくイギリスにはいません。はたして日本だったらどうでしょうか。このメンタリティーの差が意外に重要な気が)
長文で失礼しました。
軽いっすね〜ほんとに
僕は関西の旧・都の人間ですが、今や市内でボールを蹴る場所なんて皆無です。
月二回ほど金払ってやるフットサルにむけて一人で練習しようにも…
ほんとに保守的で観光客でぼろ儲けしてる金を、スポーツに還元しようなど
微塵もないです。
放課後に解放しない校庭兼公園に、潜り込めないようお金を使って南京錠付きの
門を設置しまうほどですもん。
新しい公園や施設をつくるのはそら大変でしょうけど、今ある広場や校庭を
リタイヤ組の教員でも雇って解放してよ。門の設置代より安いでしょ?
挙げ句の果てに芝生の広い公園つぶしてまで水族館を作るらしい…
修学旅行生や観光客に余計な出費を強いる予定らしい(笑)
いや〜お魚は海まで見に行きましょうよ。
このエコを謳う時代に…
先日、外国の旅行者にDo You Kyoto?って聞かれて
恥ずかしかったなぁ、あ、言うてもた。
あ〜ボール蹴りたい