株式会社クロス・ビー

COLUMN


体育にまつわるエトセトラ

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 きっつい負けは腰に来るってことがわかってきました。

 さて、つい最近まで知らなかったのですが、日本には「スポーツ振興法」なる法律が存在しているそうです。ちょっとね、その一文を紹介します。

(目的)
第1条 この法律は、スポーツの振興に関する施策の基本を明らかにし、もつて国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与することを目的とする。
2 この法律の運用に当たつては、スポーツをすることを国民に強制し、又はスポーツを前項の目的以外の目的のために利用することがあつてはならない。

 制定されたのは昭和36年。つまり東京オリンピック開催の前年のことです。しっかしまあ、まさかこんなにもツボに来る法律があるとは知りませんでした。

 だって、考えてみてください。この法律、スポーツすることを国民に強制してはならん、と言っているわけです。

 麻雀することを国民に強制してはいけない。美食を国民に強制してはいけない。美術鑑賞を国民に強制してはいけない。音楽を国民に強制してはいけない。

 当然のことながら、そんな法律はありません。だって、みんな娯楽なんだから。

 でも、スポーツを体育に置き換えてみると、こんなにもぴったりくる法律もない。行うのは、国民の心身の健全な発達、つまりは富国強兵のため。ただし、体育は娯楽ではないし、嫌いな人間もいる以上、学校教育を離れてまで強制するのはいかん。法律を提案した人、勉強は得意だったけれど、運動神経には恵まれなかったのかもしれません。賛成した国会議員の方にも、そういうタイプが多かったのかもしれません。

 スポーツ=体育じゃ、しょうがないよな。文藝春秋の社員に、本当の本当に麻雀が下手なのに、でも打つのが大好きな人間がいます(キャッシュディスペンサーとも呼ばれております)。客観的に見ればかなり音痴なのに、それでもカラオケが大好きなおっちゃんもいます。娯楽って、そういうもんでしょ。

 問題は、かくも素敵な法律を作った方々だけじゃない。他ならぬカネコタツヒト自身、やったことのないスポーツにはしり込みしてしまう自分がいます。下手だから。迷惑かけるから。麻雀を始めた時、カラオケと出合った時には出てこなかった消極性が、スポーツに関しては出てきてしまうのです。そのあたり、ガイジンさんは積極的。やったことがないってことを、ハンデじゃなくラッキーだと考える人も多い。経験者が知ってしまった世界を、自分はこれから新鮮な形で楽しめる。よって、ラッキー。だから、偉そうなことを書いていながら、俺の中にも体育ナイズされたスポーツ観というのはあるわけで。

 スポーツは、娯楽である。まずはこの大前提から始めなきゃいかんのかな。

 ミュージック=音楽。わかる。音を楽しむ。娯楽な感じが伝わってくる。興味深いのは、音楽にまつわる文章を書いている人たちの肩書で、「音楽評論家」「音楽ライター」「ミュージック・ライター」など、和洋折衷、多種多様なわけです。

 ところが、スポーツにまつわる文章を書いている人たちで「体育評論家」「体育ライター」を名乗っているという人は見たことがない。たいていはスポーツライターかスポーツジャーナリスト。日本語で生きていく人間なのに、アルファベットでしか自分の立場を表現できない状況ができあがっております。これはたぶん、スポーツ=体育と訳される教育の中で育ちつつも、どこかで違うな、おかしいなと考えている人がほとんどってことじゃないでしょうか。

 時間はかかるかもしれない。でも、そろそろ体育に変わる日本語を考えていかなきゃいかん。

 体育にまつわるエトセトラ、結論その1。「動楽(どうらく)」っていうのは、どうでしょうか。

 音を楽しむのが音楽なのであれば、スポーツとは動くこと、汗を流すことを楽しむもの。よって、動楽。やるのもよし、見るのもよし。道楽に近い響きを持つことで、スポーツは大切なんだけれど、でも、たかがスポーツというニュアンスを持たせることもできる。間違っても、他人に強制しようなんてこともなくなる......かどうかは、後輩に麻雀の習得を強制した人間としては悩ましいところですが、ともあれ、強制しちゃいかん、なんて法律がいかにとんちんかんなものか、ということは伝わる。

 いまよりは、スポーツの本質が伝わりやすくなるかもしれない。

 もし、みなさんの賛意がいただけるのであれば、今後メディアに出る際、カネコタツヒトは肩書を改めます。「動楽者(どうらくもん)」、もしくは「動楽作家」。正直、作家という肩書には強烈な抵抗があるのですが、スポーツライターという言葉を和訳すると、これしか思い浮かばないもので。

「え? 動楽ってどういうことよ?」

 そんな反応を引き出せればシメたもの。

 みなさんの反応がしょっぱければ、代案を考えつつ、しばらくはスポーツライターでいくということで(笑)。

 さあ、いよいよ次回は、今回のテーマで一番書きたかったこと、結論その2に入ります。たぶん。

コメント(13)

 「動楽」とてもいい言葉だと思います。
 但し、「体育」をすべて捨ててしまうのは、もったいないかなと思います。ミートソース、小倉トーストを発明したこの国らしく「体育」をアレンジして「動楽」に昇華させてほしいですね。
 近頃、大学の部活動における不祥事がとても増えていますよね。私が学生の部活動をしていた20年ぐらい前と比較すると、随分と上下関係が薄れていているという話をよく聞きます。
 私もサッカーをやっていましたが、パスの受け渡しは「××先輩」でした。息が上がって苦しいのに、何の戸惑いもなくそうしていました。試合に勝つことを考えたら非効率です。今は、試合中は呼び捨てになっているのが当たり前なんですが、普段もそれが残るのが、気になります。金子さんが最近インタービューされた本田君、ちょっと気になります。そういった意味で、WBCのマー君は、なんかよかったな。WBCチームは、選手間相互における尊敬と、試合に対する効率的な取り組みのバランスの良さを感じました。そういえば監督も「野球道」と言っていました。
 ちょっとおじさんくさいでしょうか?
 
 サッカー日本代表ですが、タシケントでW杯切符を勝ち取ったチームのスタメンは、全員、高校時代、高校のサッカー部所属です。これだけ、Jクラブのユースに人材流出が進み、夏の全日本ユースは、Jクラブの優勢が明らかになって暫くたちますが、ピラミッドの頂点に選手を送り込むことができません。
 うまいけど、稲本など一部を除いて、戦える選手が少ないですよね。Jクラブも少し「体育」のエッセンスが必要なのでは無いでしょうか。
 Jクラブの理念は、「動楽」に近いと思いますので、その土壌で育てられた選手が、日本代表のマジョリティーになった時、日本が世界を驚かす事ができるのだと思います。
(今は、選手達の奇跡を待つしかないような・・・)

 最後に、金子さんはやっぱり「動楽作家」では無く「動楽者」が似合います。
 

理論は、東京オリンピックの件と言い、賛同しました。
というか、僕の思っていたことを発言されてて「ありがとう」って感じでした(笑)

しかし・・・『動楽』にはしょっぱい反応を示したいと思います。馴染めないだけで批判(?)するのはどうかと自分でも思いますが、一応「こういう意見もある」程度で聞き流していただければ。

音楽は歌う側・聴く側共に音を楽しむ、という感覚があると思います。
しかし、スポーツは見る側は楽しくても、やる側は動いて楽しいという感覚では無いと思います。僕自身、アマチュアな身分ですが、サッカーのスペースへの動きで楽しいとは思いません。野球のバッティングで楽しいとは思えません。
相手がいて、倒すために全力を尽くす。その過程・結果が楽しい。集団スポーツでは特にそういう面が大きいと思います。

また、音楽は邦楽・洋楽と区別されていますが、スポーツはW杯・オリンピックなどと国境を越えて(きて)いるので完全に和・洋と区別されていません(たぶん・・・)


他にも練りだせば理由はありますが長くなりますので――
『動楽』というワードにスポットを浴びせると、こういう理由から「わざわざ日本語に直さなくてもスポーツはスポーツでいいんじゃないかなぁ~」なんて思いました。


私は、北谷の猛暑で2Kg痩せました(笑)


どうしても、体育=スポーツに違和感がとれません。

私も、あいさんと同じで、体育=授業という認識です。

明治時代に富国強兵のため体育が。。というのは事実ですし、
それゆえ、体育の中にスポーツが取り込まれてしまったのも事実。


本来スポーツは、そんな固いものじゃなくて楽しむもの。


多分、皆分かってるのになんで距離を置くのか?何故楽しめないのか?

これは大半の人が、
中学校の部活動で初めてスポーツを意識したり取り組んだりすることに
起因しているからではないでしょうか?


私も中高の6年間、部活動で団体競技をしてきましたが、
最初に誘われた時「この部活は先輩後輩が厳しくないよ」と言われて、
競技自体の楽しさをアピールされたことは無かったように思います。

親、先輩から聞くのもやはりその部分ですし、
さらに加えて「部活をやってる子はしっかりしている」。。


スポーツ=部活=精神論や封建的な上下関係の集団


競技自体の楽しさより、そのグループが持っている性質がひっかかる。


特に30代からの世代は、これを最初にやられてるので、
大人になって、スポーツを部活の延長と思えてしまうところがあって、
それを簡単に思えないのかなと。

麻雀やカラオケに集まるグループには、
そんな精神論も封建的な上下関係もないですよね。


どんなグループにも、人間関係があってそれを尊重することに変わりは無い。

でも、グループが、友情とか横並びの意識で形成されていれば、
スポーツは、随分と取り組みやすいものになるのではないか?


そこが、日本とスポーツを楽しめる国の違いではないかと思っています。


最後に、「動楽」大賛成です(笑)。

ちょっと話が枝分かれしすぎてて、本線がどんな話だったのかちょっとわかりにくいのですが、枝分かれしたエピソードのいくつかはかなり説得力のあるものだと思います。

思えばセルジオのおっさんがいわく、「ブラジルでは上手い子ほど練習する。底辺層の下手な子は試合ばっかり。」みたいなことを言っていたのを思い出します。スポーツは楽しむことが優先。練習するより、試合したほうが面白い。そのとおり。

一方日本の底辺層。若年層の部活動では、まず上手くなるために練習する。だって体育の一部だから。上手くなければ、強くなければならない。加えて試合に出られるのは上手な一部の人間だけ。

でもトップカテゴリーをみてみると、底辺層で上手くなろうと練習にはげんでいるほうが、圧倒的に下手糞。これ面白いことですね。

スポーツが体育とほぼ同義語による弊害なのでしょうね。

このテーマになって、なかなかに熱くなってますね。
このタイミングで水を差すようでなんですが、
無理に日本語に直訳するのは危険では?
日本人が外国語を覚えようとする時によくやってしまう間違い。
グッドモーニングと言われ、頭で”おはよう”と訳してから理解する。
そらなかなか会話できません。体が覚えんとね。

某全国紙を読みながら思っていたのですが、社会、国際、経済、地域…
ノンブルの横にあるコーナータイトルです。
スポーツはスポーツです。全国紙が訳すのを諦めてる?
ただ昔よりスポーツ面が前の方へきただけ社会的地位が上がった?

スポーツは文化です。よく聞くフレーズです。
要するに日本にはスポーツは無かったと言うことです。
無かった文化に当てはまる日本語は無くて当然やと思います。
文化と呼べるまでには時間が必要やないかな。
皆がこうやって話題にあげてより良くしようとしていれば
一世紀後にはスポーツは文化になってると思います。

でもスポーツはスポーツかな。
外国から来た文化(言葉)にはカタカナをあてる。
いい文化じゃないですか、オリジンの所在がはっきりしてて。

寿司はsushi、侍はsamurai、sportsはスポーツ。

動楽。イイ言葉かもしれません。もちろん、違和感ありますけど(苦笑)
私はスポーツ=運動。っていう感じでおりました。

体育は、やっぱり学校の授業の名前です。国体も、行政主導であるからこその体育大会なのでしょう。(きっと)

ただ、運動っていうと、ちょっと体力的にキツイ事の様な気がしますね。

以前、友達のアメリカ人に「スポーツは何をしてるの?」と聞いた所「ジョギング」だと言われたことがあります。
「走るだけでキツくない?楽しい?」と聞いたのですが、今思えば、私自身がスポーツは楽しむものだ。っていう前提で話をしているんですよね。

私的には、

体育=学校の授業
運動=キツイ事前提で、体を動かす事(むしろトレーニングに近い?)
スポーツ=楽しむ事前提で、体を動かす事

という感じでしょうか。

体育をスポーツと訳す事はあっても、スポーツを体育と訳す事はちょっと考えられませんね。

その2も楽しみにしています♪

代替案はいらないと思います。後は金子さんが気合い入れて、突っ走るだけですね。ようは新しい言葉を提案し、浸透させるブランディング作業です。金子さんがまずその言葉を信じてくれないと、僕らは乗りにくいです。というか、乗れないと思います。

プロフィールは勿論、メディア上にたくさんそういう動きを作っていかなくてはならない。例えばこのサイトのタイトルも動楽作家・金子達仁オフィシャルサイトに切り替える。例えば金子さん責任編集の雑誌「動楽」を創刊させて、実際のファン、アスリートから啓蒙してみる。例えば、このコラムで展開したような議論を、公開しながら色々な人と議論する。そういうアクションが必要だと思います。

正直、違和感を感じていたり、ピンと来ていない人がほとんどだと思います。勿論、僕もそうです。でも、言葉って多くの人が使ってくれてこそ、なので、地道に啓蒙していくしかないんですよね。SONYが東京通信工業から社名を改める時も、反対者が凄く多かったらしいです。略して「東通工」ですからね。今からするとよっぽどそっちに違和感を感じますが、そういうもんですよね。

自分も今、ある企業ブランディングのお手伝いをしていますが、日本語を使った新しい名詞を開発するってかなり大変ですね。自分ではあまり外来語をそのままプレゼンに使う人ってあんまり好きじゃない、って思っているんですけど、そういう自分が結構、外来語、カタカナ語に逃げていて。

いざ、日本語に向き合うのって結構、大変ですよ。だから、訳語として体育を開発した人は、ちょっとしくじったのかもしれないけど、向き合った人ではあるんですよね。そういう意味では尊敬ですね。「愛とか自由とか、そういう日本語を開発した時も、最初は???だったと思うし。「体育は強制しちゃいかん」という法律も、当時としてはきっとスポーツを軍隊的教練の一環にしちゃいけない、という思いで作った部分もあるはずですし。

実用面での懸念点を2つばかり。「動楽」を表記する時に、しばらくはルビをふった方がいいと思うんですね。「どうらく」なのか「どうがく」なのか。意図を理解して読んでくれる人ばかりではないので。「おんらく」と読まないのは経験値で判断しているだけであって、字面で判断できる読み方ではないですから。

もう一つ「スポーツライター=動楽者」としてしまうと、アスリート、あるいはスポーツマンを指す言葉を作りにくくないですか?

初めて書き込みさせていただきます。

こちらのコラムと皆さんのコメントに出会うまでは、体育とスポーツという言葉にこんなにも違いがあるなんて考えてもいなかったので、とても興味深く拝見させていただいています。

スカパーの解説をいつも楽しみにしている僕としては、解説は動楽作家のカネコタツヒトさんですって紹介されるのを聞いてみたいです。(笑)

私も最近「スポーツ振興法」なるものの存在を知りました。
やはり、「スポーツ庁」の話題が出てきたことがきっかけです。

金子さんの指摘された「(目的)」の次の条項、「(定義)」にはこう書かれています。
「この法律において『スポーツ』とは、運動競技及び身体運動(キャンプ活動その他の野外活動を含む。)であって、心身の健全な発達を図るためにされるものをいう。」

ここにはっきり書かれているんですね。「心身の健全な発達を図るため」、これはそのまま富国強兵につながります。スポーツを娯楽と考えればおかしな法律を言わざるを得ません。

ただ、その当時というか、日本のたどってきた道のりを考えれば致し方なったのかとも思ってしまいます。今まで鎖国であった日本に、急に大砲と黒船で押し寄せ開国を迫った、かのペルリが来てから日本のたどる道が狂い始めてきたのはないでしょうか。富国強兵をせねばならない状況を作られてしまったと、私は思っています。

今時代は変わりました。
幸か不幸か。今の日本は富国強兵が国家目的とされていた時代とは決別しました。よって、スポーツを娯楽ととらえても差し支えない余裕があると思います。

スポーツジャーナリストは決して「体育評論家」とは言わないですね。言っている人なんか見たことないです。

「動楽」。
最高じゃないでしょうか。ためしに「道楽」という言葉の意味を調べてみたら、「趣味を楽しむこと」と書いてありました。「楽しむこと」です。

それに「体を動かす」ことをかけて「動楽」。
恐れ入りました。私は金子さんがこの言葉を使うのに大賛成です。「どうらくもん」の言い方の方が「動楽作家」より好きです。金子さんぽいな~と思いました。勝手にすいません。

体育…。スポーツ…。娯楽…。
過去の体験を思い出させてくれた、
興味深く、おもしろい内容のお話しでした。
僕は、子供の頃からサッカーが大好きで、近所の子たちと、いつもサッカーや野球をやってました。
その頃は、スポーツが大好きだった記憶があります。
当時、近所では一番年齢が小さいこともあり、下手くそでした。
でも、楽しかった。
いつしか義務教育が始まり、体育で同じサッカーや野球をやり出すと、つまらないのなんのって…。
とりあえず、中学、高校はサッカー部だったけど、
とにかく苦痛でした…。
上手下手じゃなくて、娯楽が崩れ去っていったのが鮮明に思い出されます。
そして、現在は学生時代の仲間とフットサルをやっています。
ようやく娯楽に戻った気がします…。
そう考えると、娯楽となるためには何が必要で何が排除しなければいけないのかを深く考えてしまいました。
カネコ様、ぜひ弟子入りさせて下さいwwwwwww


私はゴルフが大嫌いなのですが、その理由がゴルフは『金持ちだけのスポーツ』で私の様な

貧しい家庭に間口が開かれていないからでした。では『金持ちだけのスポーツ』があったら

いけないのか?その答えに戸惑っていましたが、金子さんが示唆された『スポーツ=体育』

として置き換え『金持ちだけの体育』としてみると、俄然けしからん感が増し口撃しやすく

なる事が分かりました。私も『スポーツ=体育』として教えられてきたんだなと実感しました。

私の大好きな格闘技の場合はどうなるんでしょう?是非、榊原さんにも聞いてみて欲しいです。

こんばんは。自分も体は大きかったけど運動神経はあまりよくなかったので体育は嫌いでした。半ば強制的にやらされたサッカーで、練習後のダッシュを免除されるという不純な動機でゴールキーパーを始めたのもちょっと金子さんと似ているのかなと金子さんに親近感を覚えます。体育=スポーツだと運動神経のいい人は楽しい、悪い人はつまらない。日本の
部活も同じような仕組みになってしまいます。下手なら一生懸命頑張ればいいじゃないか!と言われますが、でも、やっぱり運動神経鈍いと辛いですよね。意志も弱いですし。外国人は下手でも思い切ってスポーツを楽しみますよね。彼らの性格というのもありますが環境も大きくかかわっていると思いますよね。大学のときアメリカの州立大学に短期間通いましたが、数え切れないほどのグランドがあり、またいたるところにスポーツをやる環境が整っていました。(国土の大きさもあると思いますが。)日本も時間がかかると思いますが、スポーツを純粋に楽しめる環境ができてほしいですよね。うまい人もへたくそな人も。
「動楽」という言葉はとてもうまいと思いました。自分も同じような言葉を考えていますが思いつきません。体を楽しくさせるで「体楽」はどうでしょうか?あえて「体育」に対抗させるかたちで。

 なんか確信が見えなくてまどろっこしい展開だなと失礼にも感じていましたが、これが一つ目の結論ということなんですね。
 金子さんが、ご自身の表現したい分野を「動楽」にまつわること、とお考えになってらっしゃるのであれば「動楽作家」と名乗ることは素晴らしいことだと思います。

 私は東洋医術のひとつの勉強をしておりますが「整体」「マッサージ」「あんま」と言われるたびに(そうじゃないんだよな)と思いつつもどうすれば正確に、伝わるのだろうと悩んでおりますので、ついつい共感してしまいました。
 ちなみに私の分野から言わせれば、長くなるのではしょって言いますと、長期的に解決できない悩みの種がめぐりめぐってぎっくり腰の原因の一つになったりすることもあります。
 琉球の試合、本当に衝撃的な失点ふたつでしたものね。
 お大事に。

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