サッカー先進国とは言えない国の代表チームにとって、国外の一流クラブでプレーする選手ほど心強い存在はない。86年のメキシコ代表にとっては、ウーゴ・サンチェスがまさしくそういった存在だった。
中米の巨人と言われながらも、W杯になると結果が出せないでいた当時のメキシコは、主力のほとんどが国内リーグでプレーしていた。若くしてスペインに渡り、レアル・マドリードで得点王として君臨するようになったサンチェスは、メキシコにとって欠かせない大黒柱であり、希望の星でもあった。
だが、異様なほどの注目を集めて大会に臨んだサンチェスは、期待されたほどの働きをすることはできなかった。当然といえば当然である。彼はメキシコにおける唯一のビッグネーム。対戦相手は厳重なマークをつけ、他の選手との関係を遮断することに腐心したからだ。
厳しいマークを受けること自体は、サンチェスも慣れていたはずである。ただ、常に強者としての立場だったレアル・マドリードでのプレーとは違い、当時のメキシコ代表はどちらかと言えば弱者の立場だった。強い立場でのプレーに慣れてしまったメキシコの英雄は、弱者としての立場に立たされてもなお、強者として残してきた結果を期待されていた。それが、期待と結果の乖離(かいり)につながった。
オランダでプレーする本田圭佑のフェンロ残留が決まったというニュースを聞いた。2部での優勝に喜ぶファンの反応に強烈な感激を受け「来年も優勝できるチームでプレーしたい」と語っていた彼にとっては、いささか残念な結果かもしれない。ただ、南アフリカにおける日本代表を考えるのであれば、この残留は喜ばしいニュースとも言える。
いかに高い目標を掲げていようとも、南アフリカでの日本が優勝候補にあげられることはありえない。どんな組み合わせになろうとも、予選グループ270分のうち、半分以上は苦しい時間帯になることが予想される。
そこで活躍できるのはどんな選手か。強いチームで常に多くのチャンスに恵まれる中で結果を出している選手か。それとも、少ないチャンスをモノにすべく耐える日常を送っている選手か――。
心ならずも決まった残留の代償として、本田は毎週南アフリカの疑似体験ができることになった。エスパニョールを選んだ中村俊輔同様、これは明るい材料である。



