株式会社クロス・ビー

COLUMN


『娯楽の誤解』

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 日曜日以来、勝利の美酒に酔いまくっておりました。いやあ、ホントに勝つっていいもんだ。今年の夏休みのスケジュールが未定の方、ぜひとも沖縄に遊びにきていただいて、琉球の試合をご覧になってみてください。8月16日のホンダロック戦のあとは、競技場横のビーチで選手、スタッフ、サポーター、家族......とみんな一緒になって大ビーチパーティーを行う予定。「カネコさんのために宮古島の美味い古酒をゲットしました」という嬉しい報告もすでに届いており、ああ、楽しみ。ブッ倒れるまで呑んでやる。

 あ、それとお知らせがもう一つ。実は以前からスポーツライターの大先輩、玉木正之さんと「若い人たち向けの養成講座みたいなのをやりましょう」という話が進んでおりまして、8月14日と15日、横浜桐蔭大学でその1回目をやろうってことになりました。講師は玉木さん、ゲスト、わたくし。詳しくは『論スポ』のホームページ、または玉木さんのホームページに掲載されておりますので、興味のある方のご参加、お待ちしております。

 さて、ひとまず前回で終了した『体育にまつわるエトセトラ』ですが、書き終わってみて、改めて気づいたことがいくつかあります。たとえばですね......。

 草野球、草サッカー。やったことのある方、いらっしゃるでしょう。野球を楽しむ。サッカーを楽しむ。なのに、中には無茶苦茶ムキになって、和やかな雰囲気をブチ壊す人間がいる。

 たとえば、セルジオ越後。

 このおっちゃん、我が師匠でもあるのですが、サッカーになると大人げないこと甚だしい。敵として対戦している時のこと。コーナーキックになった際、ストライカー越後はゴールマウスを守るカネコタツヒトの元にツカツカと近づいてきました。でもって、こちらのスパイクにツバを「ペッ」。当然、こっちは唖然です。そしたら、そのスキにヘディングシュートでチョンとゴール。

「サッカーにツバを吐いたらいけないってルールはないよなあ、ハハハ」

 おっちゃんが危険なのは敵の時だけじゃありません。あれはアメリカ・ワールドカップ出場をかけた最終予選がドーハで開かれていた時のこと。日本の記者団対イランの記者団で親善試合をやろうってことになりました。エースはもちろんセルジオ越後。キーパーはカネコタツヒト。その他、奥寺さんがいて田中さんがいて......えーと7人ぐらいは元日本代表だったのかな、とにかく豪華なメンバーでした。ところが、イランはイランでほぼ全員が元代表。強いのなんのって。年齢層は高いものの、技術では日本より明らかに上。体力の日本、技術のイラン。がっぷり4つの好ゲームとなりました。

 ただ、そうはいっても所詮は草サッカーの親善試合。ゆる~い気分で試合に参加していたカネコタツヒトは、オフサイドラインを抜け出してきたイラン人ストライカーの足元に飛び込もうとせず、あっさりとゴールを許してしまいました。するとですね。遠くの方からおっちゃんの罵声が飛んできたのです。

「やる気がないんなら帰れ、カネコ!」

 いや、あの、帰れって、たかが草サッカーじゃないっすか。ここはドンマイっていうところでしょ。なにそんなにムキになってるんですか......と心の中ではつぶやきつつ、まさか反論できるはずもないカネコタツヒト26歳。「まあまあ気にしないで」と奥寺さんに慰められながら、重い気持ちで98分ほどプレーしたのでありました(なんで98分だったかというと、体力に優る日本が後半逆転に成功してしまったため、笛を吹いていたイラン人の主審がなかなか試合を終わらせようとしなかったからでした)。

 今回の『体育にまつわるエトセトラ』を書いてみるまで、わたくし、おっちゃんが大人げないのはブラジル人だから、負けず嫌いなブラジル人だから、だと思っておりました。

 でも、スポーツ=祭りだったとしたら?

 だんじりに参加する。みんなが必死になってやってる中、一人だけヘラヘラしてたら? 山笠に参加して、一人だけ全力を尽くしていなかったら?

 張り倒されるでしょ。

 いまから思えば、知らず知らずのうちにスポーツ=体育を刷り込まれてしまっていたわたくしは、学校教育の一環として行われている「公式戦」から離れてからというもの、草サッカーなんぞにムキになるのは大人げない、と思い込んでおりました。スポーツは娯楽であるという意味を曲解して、心に余裕を残してエンジョイするのがオトナのスポーツだと思い込んでおりました。

 完全な後付けの論理ですな。

 ほとんどのスポーツがそうであるように、日本の祭りにも「競争」をイベントの主目的に置いたものがいくつかあります。そうした祭りに参加するとき、日本人はどうするか。

 ムキになる。必死になる。

 なのに、これが草サッカー、草野球になると、カネコタツヒトを含む多くの日本人は主目的を「競争」から「団欒」に置き換えてしまいます。ムキにならず、ミスをしても「まあまあ」でおしまい。スポーツが学校教育の体育から切り離されている外国人の場合、どこで誰とどんなシチュエーションでやろうとスポーツはスポーツだから、その第一義である「競争」に対してムキになる。スポーツと体育が混同してしまっている日本人の場合は、公式戦か否かで取り組む姿勢に違いが出てくる。

 つまり、セルジオのおっちゃんはスポーツの本質を理解していて、カネコタツヒトはしていなかったと、そういうことですな。

 日本中には、体育教師として熱心に指導に取り組まれていらっしゃる方がたくさんいます。そういう方の顔を思い浮かべると、体育という言葉を全面的に否定するのはちょっと辛い。

 でも、やっはり体育という言葉がスポーツと混同されてしまっているがゆえの弊害は見逃せない。というわけで、明日に控えたホンダとの一戦を前に意気込む動楽者でした。

コメント(8)

コラムの内容とは全く関係ありませんが、以前から言いたかった事を一つだけ。

金子達仁が書いたサッカー小説が読みたい。

ずっと待っているので、よろしくお願いします。

ミッキーさんの言われる「空気を読む」はまさにだと思います。

僕は田舎の学校で育ちました。一学年男子は10人のクラスでした。そこで体育なり部活なりをすると、当然スポーツが嫌いな人や苦手な人もいます。人数が少ないので強制的に部活にも加入です。そこで、スポーツが得意だった僕が、苦手な人のミスを罵ったりでもしたら、その人は練習に出てこなくなるかもしれません。つまり人数が少ないところでは練習相手がいなくなります。僕がミスをする人にかける言葉はまず「ドンマイ」でした。これは単に「人に不快な思いはさせたくない」と思う自分がいるからかもしれませんが・・・。

ちなみにTV の でも自分が勝っていると、相手に気づかれない程度に手を抜いて、接戦に持ち込みます。
だから僕は、スポーツにしろ にしろ、自分より少しレベルの高い人と するのが好きですね。

ああ、JFLのガイナーレ鳥取、順位が下がってきました。今年こそはJ2入りを願っているのですが。このままでは、琉球にも追いつかれるかも・・・。僕は島根県民ですが。

こんばんは&はじめまして。

今回のコラムに対する感想ですが、
この一言で表せるんじゃないでしょうか。

「空気を読む」

これは日本にしかない言葉と聞きます。
(元々芸人用語だと思いますが)

祭りだって、趣味でやるサッカーだって一緒です。
みんな一生懸命やってる中タラタラしてたらキレられます。
和やかにサッカーやってる中ツバ吐きかける奴は、僕だったら次から絶対呼びません。

その場その場で空気読んで立ち振舞えるかどうか、
それが大人=優れた人間と言われますよね。日本では。

でもきっと多かれ少なかれ外国にもあると思うんですけどね。
日本人はそれが他国より優れており、みな敏感になってるんでしょう。
これ、悪いことじゃなくむしろ長所だと僕は思います。

金子さんは物書きである以上、話に起承転結をつけて書いたり、理論づけて書かなければならないのかもしれませんが、そもそもが違うような気がします。
スポーツを何かに置き換えたりする事は出来ないのではないかと思います。
私も草フットサルをやっています。しかし私は、楽しむ為に、楽しいからやっていますが「娯楽」とは捉えてません。
私はフットサルしかスポーツをやっていないので、フットサルをスポーツして話させていただきますが、スポーツは真剣にやるから楽しいのだと思います。
例えば、娯楽としてフットサルやっている人と対戦すると全然楽しくありません。なぜなら、それは相手のいないゴールにシュートを打つ様なものだからです。なぜ私がスポーツを、フットサルを楽しいかというと、自分が最高のプレーでゴールが出来たり、チームが勝ったりするからです。「娯楽」でやっている人は自分の最高の力を出しません。最高の力を出した人を抜いてゴールを決める。自分がその人より、そのチームより上回る、最高のプレーが出来る、それこそが面白いのです。ボールを蹴っているから面白いのではありません。フットサル自体が楽しいわけではありません。最高の力を出して最高のプレーをするフットサルが楽しいのです。テキトーなプレーをするフットサルは楽しくありません。これはフットサルに限った事ではないと思います。スポーツは全て自分の最高のプレーをする事自体が楽しいのだと思います。だからこそ「勝利」に固執するのだと思います。
スポーツを「娯楽」と捉えるならそれは「見る側」なのだと思います。
私は、スポーツをやる側=スポーツ、見る側=娯楽なのかなと思います。
よってスポーツは「体育」とか「遊び」とか「娯楽」とか色々なものに置き換えられないスポーツ=スポーツなのだと思います。

 金子さん、どうもです。

 トランプにしろ花札にしろ麻雀にしろTVゲームにしろ、勝たないと面白くないわけですな。「面白く無い」と思うモノには、各個人の違いがあれ「娯楽では無い」と。

 そう思わせるのが、阪神ですわ。

 2戦続けて巨人と延長12回戦うも、最終的には勝てないと。ですので終わった時には「疲れた~」という印象しか残らない。 「良いゲームだったぞ~!」「負けても、全然構わないぞ~!」なんて言えるのは、大層な貯金をしている身分の時ぐらいだろうと。借金を抱えているチームに、そんな事言ってられません。「勝たないと面白くない」となり「金返せ~!」と怒鳴るファンの多いこと。
 それも一種の娯楽なのかもしれないが、やっぱり勝たないと面白くないわけですな。

 自分は関西に住んでいるのですが、今年の関西はもう全滅です。
 阪神・オリックス・ガンバ・ヴィッセル・セレッソと総崩れ。優勝争いしているのは、ほとんどが関東圏状態。「面白くとも何ともない」というやつです。

 インフルエンザ騒動といい「今年の関西どうしてしまったのか?」と考えていると、ある人物の存在がちらつきまして。


     カーネルおじさん・・・・・・・・


今週も春夏シュート拝読させてもらいました。排除から受容、そして日常への必要性。なるほどの一言です。

今回のコラムのコーナーキックののセルジオさんのプレー、私の愛読書『28年目のハーフタイム』にもこの描写はありましたよね。遊びのゲームでも絶対に負けを許さないメンタリティ。これは日本人にはないものですね。

養成講座、予定が入ってしまっていて参加できないのが残念で仕方ないです。第二回目はあるのでしょうか?? 本当に参加したいです!

こんにちは。
今回のカネコさんのコラムを読んで、私にも身に覚えがあったので、笑ってしまいました。
私は小中高と水泳をやっていたのですが、特に高校の水泳部が名門でもないのに熱心な部で、常に勝つことを求められました。
たった3年間でも、そういった環境でやっていたために、その時の考え方がすり込まれてしまったようで、引退後、マスターズの大会に何回か出場したことがあったのですが、周りはすごく和やかな雰囲気なのに、こっちは殺気立っていたなんてことがありましたね。
ブランク明けで、トレーニングを再開してみたら、意外に身体が動いてくれて、おまけに高校時代のベストタイムを上回る種目もあった。こうなると、人間は欲が出てくる。で、マスターズの大会といえども手を抜きたくない。招集所ではビリビリ状態。どうもこれは自分がやりたいレースではないんじゃないか、なんて思ったこともありました。
ただ、こういう話は、二元論で考えるのはむずかしいでしょうね。やっている人の生来の性格とか、その国の社会システムとか複雑に入り組んでいる気がしますから。
まぁ、単純に言ってしまえば、草食系か肉食系か、といった所でしょうか(笑)。
あと、カネコさんには都市対抗野球の観戦をお勧めします。
一見お祭り気分の大会の中で、時折垣間見える殺気立った雰囲気がいいですよ。

金子さんのコラムが更新されなくなって1週間。今日、仕事から帰ってきて更新されているかどうかチェックを・・・。

「あ。更新されてる・・・。よかった・・・」
無性に嬉しかったです。これほど金子さんのお話が聞けなくなる、読めなくなるのが苦痛とは。

さて、「体育にまつわるエトセトラ」以降、私もいろいろ考えています。先日、静岡の三保で行われたU-18日本サッカー代表の合宿を見学しに行った際。隣のスペースで子供たち(小学、低学年ぐらいでしょうか)がキャッキャッ言いながらテニスを楽しんでいました。目がキラキラしてて本当に楽しそうだったんです。
この子たちにとってのテニスは娯楽なんだろうな、と。決して体育という言葉が連想されるものじゃないでしょうな~なんて思いながらチラ見していました。本気で見ていたら男一人だったため、勘違いされそうで・・・。

金子さんの言う、「公式戦か否かで取り組む姿勢に違いが出てくる」、これ納得です。ただ。私個人のお話をさせていただけると、私自身は遊びでも何でもムキになってしまう性格です。昨年まで活動していたフットサルの教室での紅白試合でも負けると落ち込みました。俺って下手くそや。
反対に勝つとメチャ嬉しかったです。俺ってすげ~。

ただ、そんな私の空気感はなかなか周りに理解してもらえず。
逆に理解してもらおうとも思っていなかったので、グッとこらえてなるべく表に感情を出さないようにしていました。特に負けた時は・・・。

体育という言葉を全面否定するのは危険であると思います。体育にも素晴らしいところがあります。以前私がコメントさせていただいたこともあるのですが、日本人ならではの礼儀や作法、目上の人に対する言葉使い。こういったものを習得できる場であると思います。
今の日本人に、スポーツと祭りを同じ感覚で認識してもらうには時間がかかることだと思います。金子さんがこういったコラム、ホームページを通して、この問題を様々な方たちに提起して議論していくことが、いずれ大きな渦となるのではないでしょうか。

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