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 中田英寿はイチローになれるのか。つまり、孤高の男として知られた天才が、強烈なリーダーシップを発揮してチームをけん引していくことができるのか。W杯開幕が間近に迫ったいま、多くの方が興味を持っている点ではないか。

 個人的な結論をいわせていただくならば、「なれる可能性はあるが、いままでの流れからすると難しい」といったところか。

 なぜイチローは、WBCでそれまでの彼とは違う一面を見せたのか。あくまで推測でしかないのだが、わたしは「イチローが変わった」というよりは「周囲が変わった」からではないかと考えている。



 キューウェル、ビドゥカ、アロイジ。ジーコ監督は初戦で対戦するオーストラリアで警戒すべき選手として、この3人の名前をあげたという。まったくもって同感である。

  ただ、その中でもあえて1人を、と問われれば、わたしはビドゥカと答える。キューウェルにしてもアロイジにしても、基本的にはサイドを飛び出して勝負する 選手。サイドに飛び出すためには、中央でポストプレーをこなすビドゥカの出来が重要になってくるからだ。実際、ウルグアイとのプレーオフ第2戦でも、オー ストラリアの攻めはビドゥカのスタミナ残量と比例して衰えていった。彼を抑えれば、負ける可能性は減る。このことだけは断言してもいい。



 4年前のW杯終了後、わたしは「決定力ではなくチャンスの数で勝負するチームを」と書いた記憶がある。日本の社会風土や民族性、さらには肉体的な 特徴を考えると、絶対的なストライカーが出現する可能性は低い。よって、1発のパンチで倒すのではなく、連打で倒す以外に道はないと考えたからだ。

 よって、ボールの保持率で相手を圧倒し、かつチャンスの数でもはるかにブルガリアを凌駕(りょうが)したことは評価したい。細かい注文をつければキリがないが、ああいった内容こそが、わたしの望んだ日本代表の戦いぶりだった。

 問題は、ストライカーたちの出来をどう見るか、である。



 1年前の段階で、わたしが予想したW杯決勝のカードはアルゼンチン対スペインだった。ここにブラジル、イタリア、メキシコあたりがからんでくるというのが、展開予想である。

 いま、その思いは大いに揺らいでいる。

 アルゼンチンに関していうならば、リケルメの欧州CL後遺症が心配である。バルセロナで1度は木っ端みじんに粉砕され、昨シーズンあたりから再びコツコツと積み重ねてきたであろう彼の自信は、決めればヒーローとなるPKを外したことで吹っ飛んでしまったのではないか。

 大会の新星として期待していたメッシは、出場すら危ぶまれる状況である。攻撃の軸2枚が置かれた現状を見ると、アルゼンチンを推す気持ちにいささかの迷いが生じてくる。



 初めてW杯を観戦に行った86年、わたしには世界最高レベルの試合を見るのと同じぐらい楽しみにしていたことがあった。

 アステカ・スタジアムに足を踏み入れることである。

 宇宙船のような外観。10万とも13万とも言われるファンをのみ込む巨大な観客席。絨毯(じゅうたん)のように美しく刈られた緑の芝生。サッカー不毛の地と呼ばれた当時の日本で生活していた大学生にとって、映像や写真で見るアステカは別世界のオブジェだった。

 実際にアステカの階段を上り、はるか眼下に広がる芝生を目にした時の感激はいまも忘れられない。後に訪れたジュゼッペ・メアッツァも、カンプ・ノ ウも、マラカナンも、アステカほどの感激は与えてくれなかった。多くのメキシコ人が信じて疑わないように、わたしもまた、アステカは世界最高のスタジアム だと信じている。



 日本人らしいサッカーを。そう言われ続けてもう何年になるだろう。よそさまのコピーやパクリではない、自分たちのオリジナルだと胸を張ることがで きるサッカー。日本人の国民性を表すサッカー。それを手にすることができない限り、日本サッカーに未来はないし、世界と戦える日も訪れない――。わたし自 身、そう信じてきた部分もある。

 だが、ここにきて少しずつ考えが変わってきた。

 日本人らしい野球は何か。そう聞かれれば多くの人は共通したイメージを抱くことになろう。緻(ち)密な野球。自己犠牲の精神を前面に打ち出された野球。今風にいうならば、スモールベースボールということになるのだろうか。



 これは無知ゆえなのか。それとも、理解した上での確信犯なのか。中村俊輔のメディアにおける扱われ方を見るたび、わたしは戸惑わずにはいられない。

  誤解なきよう、あらかじめいっておくと、セルティックは素晴らしいチームである。スコットランドに住むケルト人、カトリックの象徴でもあるこのクラブは、 単なるスポーツクラブを超えて宗教の域に達している。こういったクラブでの経験は、間違いなく中村にとっても貴重なものとなるだろう。

 だが、スコットランドのプレミア・リーグは、そう褒められたものではない。



 5月のキリンカップに、ジーコ監督は海外組を招集しない意向を明らかにした。「ぜひプレーしたいという申し出があれば考えるが、気持ちの切り替えも含めて休養も考慮に入れたい」

  W杯が間近に迫ったこの時期、代表で「ぜひプレーしたい」と考えない選手などいるはずがない。しかし、どれほど本人が望んだところで、クラブが認めてくれ なければどうにもならず、協会からのオファーなくして「どうぞ」と送り出してくれるクラブもあるはずがない。もしそんなクラブがあるとしたら、それはその 選手を戦力として認めていない証でもある。



 ボール保持率という武器は、使う側にとって2つの用途がある。1つは、攻撃の発射台を充実させるため。そしてもう1つは、相手が攻撃する時間を減らすため、である。この日(3月30日)、エクアドルが用いたのは、明らかに後者の側だった。

  象徴的だったのは、佐藤の決勝点が生まれる直前になされた彼らの選手交代である。勝利にこだわっているチームであれば、少しでも時間を節約するために駆け 足で交代するところ、エクアドルはたっぷりと1分近くをかけてメンバーを入れ替えた。あの時点で、彼らの意識は「点を取ること」ではなく「取られないこと」に大きく傾いていたといえる。

 それだけに、佐藤のゴールの持つ意味は大きい。



 元来、サッカーとはホームチームが有利と相場が決まっているものだが、それにしても、エクアドルの場合はちょっと極端である。何しろ、南米予選で 戦ったアウエーゲームの成績は、実に1勝2分け6敗。結局、アウエーでは、予選最下位に終わったボリビアに勝つのが精いっぱいだったのだが、ホームでは無 敗で、きっちりとブラジル、アルゼンチンにも勝っている。世界でも屈指の内弁慶なチーム、それがエクアドルだと言っていい。

 もちろん、南米予選と今回の試合とでは、出場する選手の顔ぶれも緊張の度合いも、さらにはモチベーションも違ってくる。当然、今回の試合をそのままW杯への試金石ととらえるのは難しいが、それでも、日本の選手たちは対戦相手からヒントをつかんでもらいたい。



 帰国したWBC日本代表選手たちは、おそらく、浦島太郎にも似た気分を味わったに違いない。出発前、彼らを取り巻く空気は、熱狂とはほど遠い冷ややかなものだったからだ。

 なぜかくも多くの日本人が今回のWBCに熱狂したのか。もちろん、理由は1つではあるまい。対韓国戦の連敗が日本人のプライドを著しく刺激した。 デービッドソン氏のジャッジが怒りをかき立てた。野球を愛するDNAが日本人の中に潜んでいた――。だが、わたし個人に関して言うならば、今回のWBCに くぎ付けになってしまった一番の要因は、選手たちの必死さだった。



 先週、磐田の練習場で興味深い光景に出くわした。川口能活が正面に飛んできたシュートをあえてはじく練習をしていたのである。

 ご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、川口のキャッチングにかける情熱には並々ならぬものがある。普通のGKであればはじくのが精いっぱいのボールをきっちりとつかみ取る。それは、フィードの速さとともに、彼が最もこだわってきた部分でもあった。

  そんな男が、いままでであれば簡単にキャッチしていたシュートをあえてはじいている。その理由は、新たに導入された公式試合球にあった。「ものすごく手元 で変化するんですよ。キャッチするつもりではじいちゃうぐらいなら、あらかじめはじくという選択肢も考えておいた方がいいと思って」



 トリノ五輪におけるメディアのメダル予想の甘さが批判を浴びた。大会前はダンマリを決め込んでいながら、結果が出るとしたり顔で批判をするのはどうかと思わないこともないが、しかし、メディアの側が予想と願望を取り違えていたのは事実である。

 なぜ日本のメディアは予想と願望を取り違えたのか。判断を下す基準がなかったか、あるいは間違っていたからではないか、とわたしは思う。

 好例はスノーボードだろう。この競技を予想する際、日本のメディアが判断の基準としたのはW杯だった。有力選手が出場していない大会での好結果を、そのまま五輪に適用できると考えたことによって、予想は単なる願望に成り下がってしまった。



 荒川静香の金メダルがトリノに立ち込めた暗雲を消し去ったように、中田英寿のゴールがお粗末な試合内容の印象を一変させた。いや、させてしまっ た。負けてうれしい国際試合などあるはずがないが、これほど問題点ばかりが目についた試合であれば、苦い薬として徹底した反省の材料とした方がよかったの ではないか、とさえ思う。

 確かにボスニアはいいチームだった。だが、いいチームではあったものの、クロアチアよりは若干弱いチームであることも間違いない。そのボスニアに押しまくられてしまった以上、W杯の第2戦はさらに厳しい展開となることを覚悟しておかなければならない。



 米国戦では巻が、フィンランド戦では久保がゴールを挙げた。得点力不足が指摘されていたFW陣のゴールをメディアは大々的に報じたが、残念ながら、これは長続きしまいというのがわたしの率直な感想である。

 美しくはあったフィンランド戦での久保のゴールにしても、同じニアサイドに巻も走り込んでしまっていた。初めてコンビを組んだことを思えば仕方のないことなのかもしれないが、現状では1+1が2以上の相乗効果を生むことは考えにくい。



 W杯メキシコ大会予選での完敗があったから、プロ化への勢いがついた、という人がいる。ドーハの悲劇があったから、ジョホールバルの歓喜があった と考える人もいる。どちらも正しい、とわたしは思う。幸い、W杯メキシコ大会予選に出場した選手の多くは、いまも何らかの形でサッカーにかかわっており、 それは、ドーハの悲劇のメンバーについても同じことがいえる。スパイクを壁にかける際、華々しいセレモニーとともに送り出されていった選手も少なくない。

 だが、アトランタ五輪に出場したメンバーはどうだろうか。

 彼らが予選を戦った当時、日本にはW杯出場の経験がなかった。五輪本大会の出場でさえ、28年もの長きにわたった遠ざかっていた。しかも、彼らは 「2002年のW杯招致」のためのシンボルとしても位置づけられており、大げさにいえば日本サッカー界の命運を握る存在でもあった。



 この試合のビデオは間違いなくオーストラリアのヒディンク監督の手もとにも届く。彼は、この試合をどう見るのだろうか。

 開始10分間のプレーぶりは実に滑らかだった。ジーコ体制になって3度目だという3―6―1のシステムは、トップに張る久保を孤立させることなく機能し、得点への予感も十分だった。

  しかし、米国が日本の両サイドを使うようになってくると、日本はチームではなく単なる烏合(うごう)の衆に様変わりしてしまった。前半だけで実に9本の シュートを浴びたが、一方的に攻められたアトランタ五輪のブラジル戦でさえ、これほどのシュートは浴びていない。前半終了の笛が鳴るまでの戦いぶりは、 はっきり言って、日本サッカー史上最悪の内容だった。



 記憶は、時にうそをつく。

 先日、岐阜FCの監督に就任した元日本代表の戸塚哲也さんと懐かしいビデオを見た。85年10月26日。伝説の日韓戦である。

 「4対6か3対7、それぐらいの差でやられたような印象があるなあ」

 ビデオで見る前に戸塚さんがおっしゃっていた試合の印象は、あの試合に出場した日本人選手に共通する印象であり、スタンドで観戦していたわたしの印象とも一致していた。



 日本にとって、ドイツ大会は3度目となるW杯大会である。しかし、実質的には初めてのW杯でもあるとわたしは考えている。

 まず、今回は日本に全く注目が集まらない初めてのW杯である。

 初出場となったフランス大会では、次期開催国として注目を集 め、4年前の日韓大会ではホストカントリーとして世界からの目が注がれた。1次リーグの組み合わせにしても、注目を浴びた日本があまり恥をかかないよう、 FIFAが手心を加えてくれたとしか思えない部分があった。

 だが、02年が終わったことで、日本はもはや特別なお客さまではなくなった。



 これがブラジルだったら、また違った報道がなされていたのかな、と思う。ライブドアの堀江前社長の逮捕について、である。

 もし彼が法を破っていたというのであれば、罰を受けるのは当然のことである。ただ、最近の報道を見ていると、マスコミが叩いているのは「彼がやっ たこと」ではなく、彼の思想そのもののような気がする。つまり、証券取引法に違反したのがけしからんのではなく、カネがすべてという考え方がけしからん、 といった具合に。



 

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