株式会社クロス・ビー

NEWSPAPER


 Jリーグのシーズン移行論議が再燃している。2日に行われた検討プロジェクトでは、出席したJ12チームのうち、9チームから反対の声が上がった。「降雪地域では不可能」「メリットがない」といった理由が反対の根拠となっていたようだ。

 確かに、シーズンが秋開幕の春閉幕というスケジュールになれば、札幌、仙台、山形、新潟といったチームはインフラの整備に莫大(ばくだい)な資金が必要になってくる。現状を鑑(かんが)みた場合、シーズン移行に反対する気持ちは理解できる。

 だが、不可能ではない。


 犬飼日本サッカー協会会長の発言には納得させられることが多い。

 中でも、若年層の試合でバックパス禁止ルールを盛り込もうというアイデアには諸手(もろて)を挙げて賛成したくなった。

 オフサイドしかり、ラグビーのスローフォワードしかり。英国で生まれたフットボールの本質は、前に行きたがる本能をいかに理性的にコントロールするか、でもある。

 だが、最近の日本の場合はいささか状況が違う。前に行くということは、同時にリスクを背負うことでもあるが、ボールを奪われた責任者になるのを嫌がってか、異様にバックパスが目立つようになってしまった。


 心配は杞憂(きゆう)だった。日本の選手、ベンチはカタールに対して必要なだけの敬意は払っていた。積極的に攻め込んできたホームチームの攻撃をきっちりいなすことができたのも、試合前に想定ができていたからこそだろう。

 正直、先制点のアシストとなった内田のパスが田中達に向けて出されたものとは思えない。偶然といえば偶然、幸運といえば幸運な先制点ではあった。だが、その4分前には闘莉王が、2分前には田中達が惜しいシュートを放っている。まずはカタールの攻めを受け止め、そのうえで反攻に転じるという意志が感じられた先制点でもあった。


 どんな試合であっても勝利が求められ、かつ、内容も要求される。アウェーになればガチガチに守りを固め、ひたすらに結果にこだわる代表チームが多い中、だからこそブラジル代表は世界中にシンパを生み、また、強くあり続けてきた。

 つまり過酷な要求がその国のサッカーを強くし、格をもたらすのは事実である。

 カタール戦を前に、「なんとしても勝ち点3が必要」といった報道が目についた。戦う以上、勝利を前提に臨むのは最低条件でもある。


 【日本 3-1 シリア】ウズベキスタン戦に引き分けてしまったことで、カタール戦にかかる重圧は相当に大きなものとなる。そんな中、守備の中核を務めてきた中沢と楢崎が戦列を離れた。岡田監督にとって、この試合は"点を取るためのシミュレーション"であると同時に、かつてないほど"守備の熟成"に意識をおいたものであったはずだ。

 ところが、前半のシリアには攻撃の意思がまるでなかった。全員がペナルティーエリア周辺にへばりつき、一向に前に出てこない。守っている日本人選手からすると、手持ち無沙汰(ぶさた)もいいところである。


 欧州CLの常連となっているクラブは、例外なく国内におけるヒエラルキーの頂点に位置するクラブである。ギャランティしかり、環境しかり、ファンの質量またしかり。太い背骨を持つがゆえに、彼らは国内の優秀な才能を次々とピックアップすることができる。

 才能とは、選手だけを指す言葉ではない。

 サッカーにおける重要なファクターの一つ、監督もまた、運と才能を求められる仕事である。乏しい予算、限られた選手の中で結果を出すことは、ある意味、ビッグクラブで結果を出すよりも難しい面がある。だからこそ、そこで結果を出した監督の多くは、才能ある選手がそうであるように、ビッグクラブへと引き抜かれていく。


 バイエルン・ミュンヘンと言えば、かつては"FCハリウッド"とまで呼ばれ、ブンデスリーガはもちろんのこと、世界中にその名を轟(とどろ)かせたチームである。

 21世紀に入った今も、バイエルンが欧州屈指の強豪であることに疑いの余地はない。だが、現在のチームがかつてのように、バイエルン・ファン以外の層にアピールすることができているかと言えば、答えはノーである。

 ファン以外の層にアピールするために必要なこと、それはエンターテインメント性である。サッカーを楽しく見るための最高の良薬とは、一方のチームに肩入れすること、つまり勝利を期待することなのだが、勝利を期待せずに見ている人たちを楽しませることができれば、支持層は飛躍的に広がっていく。バルセロナが世界中にファンを獲得するようになったのも、彼らの志向するサッカーが勝敗を超えて楽しめるものだったからにほかならない。


 ウズベキスタンでリバウドがプレーする。10年、いや、5年前であれば到底考えられなかったことである。ロシア代表クラスの選手が、日本でのプレーを熱望してその可能性を打診してきたのは、たった6年前のことにすぎない。

 いまや、Jリーグでのプレーを希望するロシア人選手は皆無となった。言うまでもなく、その理由はロシアの経済発展に比例したギャランティーの高騰にある。欧州のごく限られたビッグクラブ以外、ロシアの選手は手を出しにくい存在になってしまった。

 だが、あと5年経(た)てば、状況はまた違ったものになっているかもしれない。


 わたしの知る限り、日本のサッカーファン、メディアが代表監督を更迭しようとした最初の例は、いまから18年前ではなかったかと思う。W杯イタリア大会予選で敗れ、第1回のダイナスティカップも全敗に終わった横山謙三監督に対し、わたしがいまも尊敬する新聞記者が噛(か)みついたのだ。

 「わたしはあなたに辞めてほしい!」

 なんと大それたことを...というのが、会見場に居合わせたわたしの率直な感想だった。噛みついた先輩記者のことは尊敬していたが、一方で、仮にもメキシコで銅メダルを獲得した英雄に対し、そこまでの物言いをしていいものか、という思いもあった。


 スポーツには、実際に戦っている選手にしかわからない世界がある。この日のウズベキスタンは、野球にたとえていうならば、スピードガン表示よりもはるかに速さを感じさせる投手だったといえるかもしれない。

 試合前、岡田監督はこの試合を「絶対に勝たなければいけない試合」と位置づけていた。その思いは選手も同じだったはず。ところが、肌を合わせてみたグループ最下位の相手が意外に手ごわい。選手たちの中に、ゴールを奪いたいという欲求と同時に、ゴールを奪われてはいけないという不安が芽生えた。結果として、行動の選択肢は"リスクある挑戦"よりも"無難な安全"に偏りがちになってしまった。


 【日本1―1UAE】ホームで引き分けて褒められる、なんてことはめったにないが、この試合だけは例外を認めてもいいかなという気がする。少なくとも、わたしがウズベキスタンの監督であれば頭を抱えている。

 バーレーン戦での日本代表を偵察資料として使うならば、もっとも警戒すべき選手は遠藤だっただろう。勘どころを押さえた守備、速いテンポのサイドチェンジ、そして時に織りまぜられるタテへのパス。ポジションが下がり目なだけに、マンツーマンのマークをつけるわけにもいかず、かといって放っておけばやられるという、相手からすればやっかい極まりない存在だった。


 イランを唯一の例外として、日本が中東勢と戦う場合、試合は退屈なものになるケースがほとんどだった。ボールポゼッションに徹底してこだわる日本に対し、彼らは日本の土俵で戦うことを拒否するかのように、露骨なカウンター狙いで来ることが多かったからである。

 そういった意味からすると、きょうの試合はかなり例外的なものになる可能性がある。

 最終予選2試合を戦って勝ち点0のUAEは、10月15日、韓国とのアウェーゲームを戦う。実力で上回る相手の敵地ではあるが、ここで勝ち点3を取れなければUAEのW杯予選はほぼ終わる。となると、彼らは"点を取られない"ことに重きを置く普段のスタイルではなく、"点を取ること"に重心を傾けてくることが考えられる。日本との試合は、そのための予行演習だと言っていい。


 久しぶりに70年代のサッカー専門誌を引っ張り出してみた。

 決して多くはないカラーグラビアの大半は、海外のリーグ戦に振り分けられている。各国のリーグが、自国のスターによって争われていた時代のグラビアは、なんとも懐かしく、そして新鮮でもある。イングランド、イタリア、ドイツ......どの国のリーグを見ても、外国人選手がほとんどいない。さらにいうならば、黒人選手は皆無に等しい。これは選手に限ったことではない。スタンドの観客についても同じことが言える。


 8分の3。もしかすると4分の3となる可能性もある。2年連続となる日本勢のアジア・チャンピオンズリーグ制覇が、少しずつ見えてきた。

 昨年、レッズの戦いぶりとサポーターの熱気は、アジア各国に強烈な印象を残してきた。かつてユベントスの本気が、トヨタカップに対して冷笑的だった欧州の空気を変えたように、ずば抜けて高い浦和の赤い熱は、今後確実にアジアのサッカーに影響を及ぼしていくはずである。

 しかも、今年の大会の持つ意味は、昨年以上に大きなものがある。


 たった8試合しかない予選の初戦を落とす。それも0―3で落とす。スタートとしては壊滅的である。 「もし第2戦にも敗れるようなことがあれば、グループ2位以内を確保するのは非常に難しいことになってしまう」

 オーストラリアとのホーム初戦を前に、ウズベキスタンのイニレエフ監督はそう語ったという。監督の思いは、もちろん選手たちにも伝わっているはず。相手が前回W杯でベスト16に進出した強豪といえども、ウズベキスタンは勝たなければならない。

 一方、オーストラリアのピム監督は懸命に手綱を引きしめようとしている。


 岡田監督の言葉ではないが、サッカーは恐ろしい。3点目が決まっていなければ、日本選手の集中力は保たれたままだっただろう。バーレーンが2ゴールをあげることはまずなかった。あれは、バーレーンが意図したというよりは、日本の油断に偶発的な条件が絡んで発生した"かまいたち"のようなゴールだった。

 とはいえ、全体的にみて日本の戦いぶりにはほぼ文句のつけようがなかった。サッカー専門誌的に各選手の採点をしてみるとすると、わたしがつけるこの日の最低点の選手は中村俊輔になる。貴重な先制点を奪った選手でさえ、動きの量の少なさ、重さが目についてしまうほど、その他の選手の出来がよかったのである。


 バーレーンへの遠征を目前にした日本代表が、流通経済大との練習試合に敗れたという。

 実に興味深い。

 サッカーは、戦術のぶつかりあいであると同時に、個人のぶつかりあいでもある。どれだけ有能な戦術家が指揮をとったところで、駒となる選手の能力が足りなければどうしようもない。 

 JFLにも所属する流通経済大は、いうまでもなく、日本の大学界トップクラスのチームである。とはいえ、個々の才能、経験値を比較した場合、日本代表に到底及ばないのも事実である。

 にもかかわらず、彼らは勝った。日本代表は敗れた。

 考えられることは2つである。


 五輪は終わった。サッカー界は、再びW杯を目指す時代へと突入する。

 負けようとして戦いに臨む国がない以上、楽なW杯予選などあるはずもない。それでも、グループ2位に入ることを考えるならば、日本は比較的楽なグループに入った。オーストラリアが強敵であることは間違いないが、その他の国の力はいささか落ちる。

 ただ、万が一2位以内を逃すようなことがあると、一気に南アフリカへの道は険しいものになる。もう一方のグループは、すべての国にW杯本大会出場経験があるという大激戦区である。3位になって辛くも生き残ってきた国が、日本を上回る経験値を手にしているであろうことは想像に難くない。

 むろん、そのことは選手たちもよくわかっているはず。それだけに、2位という安全圏内から転落しそうになった時にのしかかってくる重圧は、凄(すさ)まじいものになるはずだ。

 誰が、そのときにチームをまとめるのか。


 40年前、日本サッカーが初めてメダルを獲得した試合の相手は地元メキシコだった。当然、試合は地元への声援一辺倒の中で始まったのだが、終盤になると、アステカ・スタジアムのあちこちから「ハポン、ハポン」の歓声が沸き上がったという。サッカーを愛するメキシコのファンは、不甲斐(ふがい)ない試合しかできない地元チームより、魅力的なサッカーを展開する敵役にも声援を送ったのである。

 だが、この日の試合会場は中国だった。世界中のどんなファンをも魅了したに違いない美しい日本のサッカーは、最後までなんの声援を浴びることなく、力尽きた。まずは、そのことが残念でならない。

 それでも、今回の五輪ベスト4は、日本サッカー界にとって歴史的な偉業であることは間違いない。


 近年のウルグアイは、新興国にとっての"門番"となりつつある。

 W杯優勝2回を誇る古豪ではあるものの、その国土の小ささ、人口の少なさを考えると、神がマラドーナクラスの天才を同時に2人ほどラプラタ川の東側に誕生させるという気まぐれを起こさない限り、栄光の復活は難しい。

 それでも、彼らにとってサッカーは国のアイデンティティーを支える最大の背骨であり、国力にまかせて自分たちを乗り越えていこうとする者たちには、感動的なまでの反骨心を発揮する。過去2回のW杯予選で、オーストラリアはこの門番にとことん苦しめられた。


 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

 


LINK





FC琉球

AD