なぜ国見高は地理的なハンデを乗り越えて、日本の頂点に立ちえたのか。OBの永井秀樹に聞いたことがある。
「背中かな」
それが彼の答えだった。
「俺(おれ)ら、遠征は全部、小嶺先生の運転するマイクロバスで行ったんですよ。会場まで行く。試合をする。帰る。俺らは熟睡してる。時々目を覚 ます。先生の背中が見えるじゃないですか。あの人も疲れてるはずなのに、何も言わずにハンドルを握ってくれてる。それも何十時間も。あれをみて、この人の ためにって思えなかったら男じゃないでしょ」
なぜ国見高は地理的なハンデを乗り越えて、日本の頂点に立ちえたのか。OBの永井秀樹に聞いたことがある。
「背中かな」
それが彼の答えだった。
「俺(おれ)ら、遠征は全部、小嶺先生の運転するマイクロバスで行ったんですよ。会場まで行く。試合をする。帰る。俺らは熟睡してる。時々目を覚 ます。先生の背中が見えるじゃないですか。あの人も疲れてるはずなのに、何も言わずにハンドルを握ってくれてる。それも何十時間も。あれをみて、この人の ためにって思えなかったら男じゃないでしょ」
欧州CL第3節、アイブロック・スタジアムにバルセロナを迎えたグラスゴー・レンジャーズは、ホームでありながら極端な守備的サッカーを展開し、 0―0の引き分けに持ち込んだ。圧倒的な戦力を誇るバルセロナを相手に彼らが見せた闘志溢(あふ)れる守備と、必死になって選手を後押しした観客の声援 は、素晴らしく感動的なものだった。
だが、試合直後、バルセロナのメッシは吐き捨てるように言ったという。
「彼らがやったのは、アンチ・フットボールだ」
過ぎていく時代があれば、甦(よみがえ)る時代もある。70年代、「世界でもっとも魅力的なチーム」と言われたボルシアMGは、いまブンデスリー ガ2部にいる。60年代、「赤い悪魔」の異名をほしいままにし、その後低迷期に突入したマンチェスターUは、90年代なかばから急速に復活し、再び世界で も屈指の人気と実力を誇るチームとなった。
もし浦和レッズがあと1勝を勝ち取っていれば、Jリーグの歴史は間違いなく新しい時代へ と突入するはずだった。日本サッカー界における圧倒的な巨人の誕生。対バイエルン、対ユベントスのように、各チームにとって絶対的な目標となる存在の誕 生。レッズ・ファンの要求も高まる。ただ勝つだけでなく、内容でも自分たちを魅了してくれるサッカーを求めるようになる。強くて、楽しいサッカーの誕生。 勝敗を超えたエンターテインメントを提供するクラブの誕生――。
今振り返ってみても、W杯ドイツ大会は素晴らしい大会だった。それまでのW杯が「いかに素晴らしい試合を演出するか」ということのみに腐心していたのに対し、ドイツ人たちは訪れる観客にも素晴らしい時間を体験してもらうべく、様々な手段を講じていたからである。
「ファン・フェスタ」と名付けられ、各地で繰り広げられた国際色豊かな「縁日」はW杯のあらたな楽しみ方を教えてくれた。
これ以上のW杯は当分開催されまい――というのが1年前の率直な感想だった。だが、今回南アフリカを訪れてみて、少しずつその考えが変わりつつある。
「ようこそ、南アフリカへ」
抽選会終了後、沈痛な面持ちの中国人記者に、いじわる半分聞いてみる。中国はオーストラリア、イラク、カタールと同居するという「死のグループ」に組み入れられたのだ。
「この組み合わせをどう思いますか?」
ため息まじりに相手は聞き返してきた。
「あなたはどう思うんですか?」
笑いながら一言「タフ!」と答えると、彼は日本のグループに目をやった。
「あなた方はラッキーでしたね」
3カ月前、彼らは同じスタジアムでベトナムに大苦戦を強いられた。正直、うんざりした。内容に、ではない。大して強いわけでもないのに、まだ何も
勝ち取ったわけではないのに、安楽椅子にふんぞりかえったかのような選手たちの態度が、なんとも鼻について仕方がなかったからである。あの時、彼らは唯一
のゴールが生まれた場面でも落ち着きはらっていた。試合終了の瞬間、歓喜の表情を見せる選手もいなかった。勝って当たり前――そんな肥大した自尊心が垣間
見えた。
「地獄を見た」
この日の試合後、反町監督は言った。同じ思いを選手が抱いていたかは分からない。それでも、3カ月たった国立での若い選手たちは、ベトナム戦とはまるで違う集団になっていた。
【浦和2―0セパハン】戦いに臨むにあたり、指揮官が恐れるものの一つに「慢心」がある。個人的には、日本人に特にその傾向が強いような気がするの
だが、基本的には洋の東西を問わない傾向と言っていいだろう。欧州CLなどでも、絶対有利を囁(ささや)かれる側の指揮官が、試合前に相手を称賛し、これ
から戦うのがいかに大変な相手であるかを強調する例は決して珍しくないからだ。
ただ、日本五輪代表の場合、いささか「クスリ」が効きすぎたのではないか。
数カ月前、国立競技場で戦ったベトナム五輪代表は、確かに素晴らしいチームだった。どれほど押し込まれても自陣から徹底的につなごうとする姿勢 や、自己犠牲の精神に溢(あふ)れた守備に、わたしなどは20年前の日本代表をダブらせてしまったほどだ。近い将来、彼らがアジアの頂点を争う存在になる 可能性は極めて高いとも見た。
とはいえ、現時点でのベトナムに日本を倒すチャンスがそうあるとも思えない。
今年も、ナビスコ杯決勝は満員になった。一時期は存続自体が危ぶまれたこともある大会だが、もはや日本サッカー界にとって重要なタイトルの一つと して、チーム関係者のみならず、メディア、ファンにも認知されるようになってきたといっていい。もとより日本は英国と並んで世界でも屈指のトーナメント好 きの民族である。扱い方さえ間違えなければ、さらなる人気の獲得も可能だろう。
内容についてはいまさら詳しく触れることもあるま い。あえて言うなら、勝敗を分けたのは「勝ったことのある者」と「勝ったことのない者」のわずかな、しかし簡単には埋められない差だったということか。ガ ンバも、レッズも、この小さな差を埋めるためにずいぶんと長い時間もがいてきた。これからは同じ道をフロンターレが歩んでいくことになる。もっとも、チー ムに先をにらむ展望がある限り、この「長い道」はファンにとって楽しい道にもなる。
初めてサリア・スタジアムに入った時、まず驚かされたのは正面玄関に大きく書かれた落書きだった。
「ミランよ、4―0をありがとう!」
サリア・スタジアムは、バルセロナを本拠地とするもう一つのチーム、エスパニョールのホームスタジアムだった。ダービーマッチの熱さは無論知識と
しては知っていたが、日本人の感覚としては、同じスペインの代表、それも同じ街の代表が欧州CLに惨敗したことに狂喜する人間がいて、かつ、クラブ側が不
法侵入と器物破損を問われてもおかしくない行為を黙認していることが、どうしても納得できなかった。
先日、ブエノスアイレスではアルゼンチン・サッカー界の大一番、ボカ・ジュニオルス対リーベルプレートの「クラシコ」、いわゆる伝統の一戦があったのだが、そのキックオフ時間が、直前になって変更されたというのだ。
ボカ対リーベルともなれば、アルゼンチン国内のみならず、世界の多くの国々にライブでテレビ中継が配信される。そのキックオフ時間を変更するとなれば、各方面に相当のしわ寄せが来ることは容易に想像がつく。それでも、変更は強行された。
同時刻にラグビーW杯に出場しているアルゼンチン代表の試合があった、からである。
ストライカーの1人が素晴らしい決定力を発揮し、もう1人もそれなりの決定力を見せれば、こういう試合になる。釜本邦茂が傲慢(ごうまん)なまで
の存在感を放っていられたのは、常にこの試合の大久保並みの決定力を見せつけてきたからでもある。ストライカーの重要性を改めて思い知らされた試合だっ
た。
エジプトは強かった。メンバーが若手に入れ替わっていたこと、ちょうど時差ぼけが激しくなるタイミングでの試合だったことを差し引 いても、日本の勝利は評価できる。ストライカーの決定力がいつも通りであれば、スコアはもう少し競ったものになっていただろうが、それでも、負ける試合で はなかった。
7日、WGPなどで活躍した阿部典史さんが亡くなった。享年32歳。Uターン禁止区域でUターンをしようとしたトラックに激突しての死だったとい う。日本を背負い、日本を代表して世界と戦ってきた男の早すぎる訃報。モータースポーツのファンとして、スポーツ界に生きる者として、そして日本人である ことに誇りを抱かせてもらった者の一人として、心から冥福をお祈りしたい。
さて、サッカー界ではちょっと気になる動きが起きている。川崎フロンターレのメンバー入れ替えに端を発した、いわゆる「ベストメンバー」問題である。
個人的な意見を言わせていただくならば、どの大会にどのようなメンバーで挑むかは、上が決めるべきことではない、というのがわたしの考えである。
チームが、ファンが本腰を入れるだけで、大会の見え方はこれほどまでに変わるものなのか。昨年までは個人的にもあまり興味のなかったACLから、今年は目が離せなくなってしまった。
ずいぶんと以前にも書いたが、クラブ世界一王座決定戦と銘打たれて始まったトヨタカップは、発足当初、南米側の意気込みに比べ、欧州勢の無関心ぶ
りが気になる大会でもあった。事実、トヨタカップの前身であるインターコンチネンタル杯では、欧州王者の出場辞退が珍しいことではなく、77年、79年の
大会に出場したのは、欧州チャンピオンズ杯決勝で敗れたチームだった。
プレーするのは選手だから――それが日本代表時代のジーコ監督の口癖だった。ともすればエクスキューズ、あるいは責任放棄とも受け取られかねない 言葉ではあったが、彼は信念からそう口にしていたのだろう。W杯に臨む監督として、それも決して強豪とはいえない国の監督として相応(ふさわ)しいか否か は別にして。
トルコのフェネルバフチェの指揮を執るようになってからも、ジーコ監督の評価は真っ二つに分かれていると聞く。批判す る側の根拠となっているのは、彼が率いるチームの勝負弱さである。中には、彼が現役時代ついにW杯を獲得できなかったことまで引っ張りだし、「ゆえにジー コ監督には勝負運がない」と結論づける論調まであるらしい。
話はいささか古くなるが、非常に印象的な出来事だったのでぜひ紹介しておきたい。9月8日、イタリアはミラノで行われた欧州選手権予選、イタリア対フランス戦での出来事である。
すでに多くのメディアが伝えているように、この試合ではフランス国歌吹奏の際にイタリアのサポーターがブーイングをしたことが、両 国の間で大問題となった。試合前にフランスの選手が「イタリアのサッカーは小狡( こ ずる)いだけ」といったニュアンスの発言をしたことが原因とも言わ れているが、他ならぬイタリアの選手たちも大きなショックを受けたという。
当事者以外には退屈極まりない、いたって日本的、そして中東的なゲームだったが、試合終了後の反町監督が怒りではなく安堵(あん ど )の表情を
浮かべていたところをみると、日本のコンディションは相当よくなかったということなのだろう。普段の反町監督であれば、涼しい国立競技場で、あたかも中東
や東南アジアで戦っているかのごとく省エネ・サッカーを繰り返した選手たちに、怒り心頭になっているはずだから。
ただ、内情を知らない人間としては、安堵ではなく切なさが込み上げてくるゲームでもあった。前半、攻め手がなかったのはカタールが例のごとく退屈な戦術をとったからでもあるのだが、日本側にも原因がなかったわけではない。
お盆明けから福岡、仙台、北海道とJ2のホームタウンを相次いで訪れる機会があった。いずれもJ1で戦った経験のある都市であり、同時に、プロ野
球の球団を抱える都市でもある。サッカー熱の落ち込みが気になるところだったのだが、どうやら、日本のサッカーもチームが下部リーグに降格したぐらいでは
ビクともしないところまできたらしい、と実感することができた。
興味深かったのは、東京で読んでいる新聞との紙面の違いである。当然のことながら、どの都市でも地元のチームの動向がまず大きく伝 えられ、続いてライバルチームはどうだったか、ということになっていた。バルセロナの新聞が、まずバルセロナとエスパニョールを取り上げ、次いでRマド リードの試合、特にこのチームが敗れた時には大きく取り上げる......というのと基本的には同じ図式である。
期待していたU―17日本代表は残念な結果に終わった。
とはいえ、フランス戦で柿谷が決めた一発は、世が世であれば「即A代表に抜擢(ばってき)を」と声が上がっていても不思議ではない驚異的なもの
だったし(西目農の小松晃さんは今、何をなさっているのだろう)、選手たちが衝撃を受けたであろうナイジェリアとの差にしても、中田英寿たちの世代が戦っ
た時よりはずいぶんと縮まっているように見えた。韓国で味わった悔しさを忘れずに上を目指してくれれば、今回の敗戦は間違いなく糧となって生きてくる。
ただ、1つ気になったことがある。
個人の能力では比較にならないぐらい日本の方が上だった。チームとしての洗練度、充実度も然(しか)り。それでいながら1―0という最少得点差で終わったのは、日本がダメだったというよりは、ベトナムの頑張りが見事だったからである。
ベトナムの選手からしてみれば、慣れない敵地での試合で、かつ、体格的にも圧倒的に劣っている。前線の大きな選手めがけてクリアしておき、そこで時間を稼 ぐという、弱者の常套(じょうとう)手段さえ持ち合わせていなかった。並の精神力であれば、試合の早い段階で絶望感に支配されていても不思議ではない。そ れでも、彼らは感動的なまでの頑張りで失点を防ぎ続け、驚くべきことに、それはゴールを奪われても変わらなかった。
いまになって思えば、日本のサッカーは長く「技高心低」の時代が続いていたということなのだろう。テクニックはそこそこある。ただ、勝者のメンタリティがない――。
勝者のメンタリティがないとはどういうことなのか。端的に言えば、自分自身で限界を設けてしまうことではないか、とわたしは思う。かつて、日本選手にとっての限界はアジアだった。「アジアの壁」なる言葉が平然と口にされ、アジアで勝てないのは仕方のないことだとされた。
だが、高いと思っていた壁がそれほどのものでもなかったことは、少年時代から世界大会を経験し、少なくともアジアに関するコンプレックスは持たない世代の出現によって証明された。あれほど困難とされたアジアでの勝利は、いまや最低限のノルマにさえなりつつある。