株式会社クロス・ビー

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 グッドゲーム!...といいたいところだが、この程度で満足してもらっては困る。あえて厳しい見方をさせてもらうならば、過去の2試合がひどすぎたがために、この日の試合が爽快(そうかい)に感じられたという面があるからだ。

 ただ、これまでに見られた大きな欠点が修正されていたのも事実である。特に、絶望的なまでに精度の低かった最終ラインからのつなぎが平均的なレベルにまで向上していたのは、今後を考えると非常に明るい材料である。

 ボール保持率を生命線とするサッカーを目標としながら、これまでの日本では、五輪代表だけでなくA代表も含めて、最終ラインからのつなぎに難のある場合が多かった。ていねいにいきすぎて奪われるケース、奪われることを恐れるあまり、単調なロングボールに偏ってしまうケース...。いわば、理想論と現実論の狭間(はざま)を極端に揺れ動いていたのが、これまでの日本サッカーだった。


 国立での第1戦を2―0で勝った時点で、日本女子代表のW杯出場はほぼ決定的なものとなった――それが率直な感想だった。後半に入るとガクッと動きの量が落ちたメキシコを目の当たりにしただけに、彼女たちが日本から3ゴールを奪うとはとても想像できなかったのだ。

 ところが、トルーカでのメキシコは違うチームになっていた。もし、荒川のゴールで一度は出端(ではな)をくじかれていなければ、彼女たちは易々(やすやす)と日本から3ゴール、4ゴールを奪っていたかもしれない。

 それにしても、第1戦が信じられないほどズタズタにされながら、懸命に猛攻を凌(しの)ごうとする日本女子代表の戦いぶりの、なんと感動的だったことか。女子サッカーにおけるW杯の位置づけは、五輪より下にランクされるが、いままさに五輪予選を戦っている男子に比べると、チームとしての思いが画面を通じてもダイレクトに伝わってきた。

 


 100年に一度、というのは大げさとしても、先週末に行われたバルセロナ対レアル・マドリードのクラシコは間違いなく10年に一度の激闘ではあった。

 どちらも欧州CLで敗退した直後であり、選手たちは精神的に相当厳しいところまで追い込まれていたはずだが、伝統の一戦という舞台が、強制的に選手たちのモチベーションを絞り出させたのだろう。前半45分間の攻防は、世界中のどんなステージの試合であっても滅多(めった)に見られないレベルのものだった。観客が、歴史が、疲弊しきったはずの選手に奇跡ともいえる死闘を演じさせたのである。


 開幕の埼玉スタジアムで、旧知のドイツ人ジャーナリストとバッタリ。サッカーを書くということに悩んでいたころ、貴重なアドバイスをくれた恩人である。

 「レッズは大変そうですね。オジェック監督もやらなければならないことが多すぎるんじゃないですか」

 「なすべきことが多いのは事実だが、シーズンは長いんだから心配はないんじゃないかな。今日だって、久保の一発がなければまるで違った試合になっていたよ」

 言われてハッとした。

 シーズンは、確かに長いのである。


 こんなにも胸に響かない3―0という試合も珍しい。そもそも相手を格下とナメきっていたのか、他ならぬ選手たち自身がゴールにも喜びを露(あらわ)にしないのだから、みているものが感情移入できるはずもない。もしわたしが反日教育にどっぷりつかった中国人だったとしたら「なんと日本人は傲慢(ごうまん)な民族なのか」と憎悪の念をたぎらせたことだろう。

 それにしても、日本の選手たちのなんと優しかったことか。彼らは素晴らしく自分に優しく、そして仲間にも優しかった。川口能活であれば、中田英寿であれば、そして闘莉王であれば血相を変えて激怒していたであろう信じられないようなイージーミスを、彼らは優しく見逃し、何事もなかったかのようにプレーを続けた。誰からも反省を強要されない選手たちは、懲りることなくミスを繰り返した。


 哲学が染みてきていることはよくわかった。勝ったとはいえ、相手の個の能力の高さに翻弄(ろう)された感のあった中国との初陣に比べれば、この日のチームからは明確な狙いを感じ取ることができた。細部を見れば注文をつけたいところはいっぱいあるが、まずは、大きな骨組みができつつあることを評価したい。

 2次予選はもちろんのこと、強豪の集まる最終予選に入っても、おそらく、日本は各国からターゲットにされることだろう。日本と戦うチームは、まずガッチリと守りを固め、あわよくば、という展開を狙ってくる。W杯ドイツ大会予選でもよく見られたパターンである。


 ブンデスリーガで事件が起きた。バイエルン、ハンブルク、ボルシアMGという優勝経験のある名門チームで、示し合わせたかのように監督の交代劇が勃発(ぼっぱつ)したのである。

 中でも驚きをもって受け止められたのは、昨シーズン、バイエルンを優勝に導き、今シーズンの欧州CLでも安定した成績を残してきたマガト監督の解任だった。

 「彼は優秀な指導者であり、バイエルンのために素晴らしい仕事をしてくれたのだが、現在の状況を考えるとこうせざるをえなかった」


 隣の芝生は青く見える。少なくとも、楽天の野村監督からすると、日本サッカー界の指導者ライセンス・システムは青く見えるものらしい。

 確かに、プロとアマチュアの接触を禁じている野球界から見れば、Jリーガーが高校生、中学生を指導しても問題がないばかりか、ともにプレーすることさえ許されているサッカー界の現状は、ずいぶんと自然で健全な姿であることは間違いない。ただ、まだ完成したばかりのピラミッドが、画一的な指導を生み、独創性溢(あふ)れる選手の出現を阻害している、という声も聞く立場としては、いささか面はゆくもある。

 もっとも、かくいうわたしも最近はラグビー界が眩(まぶ)しく感じられて仕方がない。


 どの国のリーグが世界最高峰なのか。プレミアという人がいれば、リーガ・エスパニョーラだという人もいるだろう。それぞれのリーグにはそれぞれの特徴があり、どこのリーグが一番かという答え探しは、実に無意味で楽しい作業ではある。ただ、どこのリーグがストライカーにとってもっとも過酷なリーグかと問われれば、わたしは迷わずにセリエAだと答える。

 いうまでもなく、イタリア・サッカーの特徴は、徹底したリアリズムにある。むろん、ファンタジーは必要だが、まず優先されるべきは結果。時にルールのグレーゾーンに足を踏み入れてまでも勝利にこだわる国民性がカテナチオを生み、W杯優勝4回という輝かしい成績につながっている。


 たとえば、楽天の野村監督が皮肉たっぷりに他のチームを批判する。たとえば、広島のブラウン監督が中日のやり方に注文をつけ、激怒した落合監督のコメントが紙面を飾る。プロ野球をみていて楽しく、そして羨(うらや)ましくもあるのは、監督という立場にある人たちが、その発言によって勢力図や立場などをうかがわせてくれることである。

 チームを率い、集団をまとめる立場にある以上、どんなスポーツであれ監督には哲学が必要になってくる。哲学という表現がピンとこなければ、揺るぎない信念の源、と置き換えてもいい。苦境になった自分を支えてくれる源は、当然、個人個人によって異なるはずだ。


 5年ほど前、ドイツに取材へ行った時のことである。専門誌「キッカー」の編集長が嘆いていたのは、ブンデスリーガの海外進出の遅れだった。

 「わが国のリーグを国外の人にも興味を持ってもらうための努力が不足している。イタリアやスペインのクラブとの経済格差を埋めるためには、新しいマーケットの開拓が不可欠なのだが」



 浦和の2冠達成で今年の日本サッカーが始まった。試合後、オシム監督も言っていたようだが、今年のレッズにはアジアでの躍進を期待したいと思う。

 あくまでも個人的な見解だが、わたしは、世界広しといえどもレッズのファンほどアウエーゲームに足を運ぶファンはいないのではないか、と思っている。

 そもそも、なぜアウエーゲームは「敵地」と表現されるのか。スタンドを埋める観客の大半が、地元チームのサポーターで占められるからである。それは、マンチェスター・ユナイテッドやユベントス、レアル・マドリードといった世界的な人気チームにとっても変わらない。


 初めて受話器越しに話したときの驚きは、いまも忘れられない。

 「あの、はちゅうだと申しますが......」

 はちゅうだ?そんな変わった名前の知り合いはいない。そういえば、韮崎高に同じ名前の伝説的なドリブラーはいたけれど...。

 「セルジオ越後さんからご紹介をいただきまして、お電話を差し上げました。以前、韮崎でサッカーをやってました羽中田と申します」


 まだ日本に確立されていないジャンルの1つに「スポーツ歴史学」という項目があるが、もしいずれ日本でもスポーツが連続した時系列で語られるようになった時、サッカー界にとってのターニングポイントとして記憶されるであろう06年が終わろうとしている。

 右肩あがりの幻想が打ち砕かれた年。日本代表を牽引(けんいん)してきた男が去った年。浦和レッズがついにJリーグを制した年。あまりにも多くのことがあった1年にあって、わたしが最も強い印象を受けたのはU―17日本代表の戦いぶり、なかでも柿谷曜一朗のプレーぶりだった。もし、日本サッカー界における今年のMVPを指名しろと言われたら、わたしは迷わずに彼の名前をあげる。


 川淵キャプテンが五輪代表の平山にカツを入れたという。確かに、高校時代の鮮烈な印象に比べると、最近の平山はどこかおかしい。才能や器からすると、間違いなく日本の将来を背負っていかなくてはならないストライカーだけに、名指しされたのは期待の表れとみることもできる。本人にとっては決して愉快な経験ではないだろうが、この時期にそういった経験ができること自体、幸運だと考えてもらいたいものだ。

 だが、カツを入れられるのは平山だけでよかったのか。



 赤い悪魔を一発で葬った中村俊輔に続き、またまた快挙である。どうせだったらそれを6月にやってくれよ......といいたいところもあるのだが、なにはともあれ、高原のハットトリックに拍手を送りたい。

 もっとも、個人的には今回のハットトリック、さほど驚いてはいない。得点を狙えそうなポジション、いわゆる「美味(お い)しいところ」を他の選手に押さえられてしまい、難易度の高いシュートばかりを求められていたハンブルク時代と違い、フランクフルトでの高原は「美味しいところ」に入る優先権利を持っているからである。


 96年のUEFAカップ準決勝は、わたしにとって忘れることのできない試合である。

 ミュンヘンでの第1戦を2―2で引き分けたバルセロナは、圧倒的有利な状況でバイエルンとのホームゲームを戦った。バルサが決勝に進出するには、0―0の引き分けでもいい。だが、ホームの大歓声に後押しされた彼らは、立ち上がりから攻めて攻めて攻めまくり、結果、カウンター2発に沈んでしまったのである。


 これはもう、手放しで喜んでいいニュースである。中村俊輔、実に素晴らしい決勝ゴールだった。
 W杯における無残な成績と不甲斐(ふがい)ない戦いぶりに、欧州における日本人選手の価値とイメージは暴落していた。ある代理人氏は、日本の選手を売り込みにいったところ「日本の選手は戦えないからもういらない。それよりも、韓国の選手はいないのか」と言われたこともあったという。



 なんというか、実に日本人らしい、実にマゾヒスティックな試合ではあった。

 3―1となった時点で、サウジアラビアはもう前に出てくるしかない。これがイタリア人であれば「ムキになってる相手とつきあってられるか」とばかり徹底したキープに入り、相手の体力と闘志を削り取っていったことだろう。



 カップ戦には国によっての好き嫌いがある。

 欧州で最もカップ戦を愛する国は、間違いなくイングランドである。エンパイア・スタジアムで女王陛下から受け取ったカップを掲げるという行為は、多くのフットボーラーにとって、リーグ戦を制する以上の夢であり続けてきた。



 

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